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ニーチェにおけるエナンティオドロミーの可能性

 ニーチェは父母ともに敬虔なルター派キリスト教徒という家庭環境で幼少期を過ごしたが、彼が4歳の時に父が亡くなりキリスト教の神が善人を救うという教理に疑問を抱き始める。しかし厳格なキリスト者である母たちに育てられ、10歳頃には「小さな牧師さん」と呼ばれるほどの聖書の知識と聖歌の技術。


調べたところ、ニーチェをして決定的にキリスト教からの離反をさせたのは、16-17歳時のヘルダーリンの詩に対する研究。17歳で書いた論文『意志の自由と運命』および『歴史と命運』で、「神の絶対性」を疑いキリスト教のドグマより普遍的な人文知を求め始める。


ランボーもゲーテそうだったけど、幼少期から思春期青春期にかけてキリスト教を熱心に信じていたが後に強烈に疑いキリスト教から離反した人は文学や哲学のカテゴリーで大きな才能を発揮。それは単に、後者の懐疑に人文的深度があるからだけではなく、幼少の無垢な感受性で聖書の言葉に命の底から前教会的に感化を受けた賜物だろう。


20歳のニーチェはボン大学に入学して神学と古典文献学を専攻するが、神学の授業が思考の不誠実さに満ちていると評価し、1学期で神学を完全に放擲した。またニーチェは反キリストで有名で「神は死んだ」という思想史・哲学史を激動させた言葉を生んだ。


しかし、幼少期の聖書への傾倒が、どれほど彼ら文化的天才に霊感と知性の基盤を与えていたか、というのは重要な西洋人文系の研究になり得そうだ。ニーチェという究極の反キリストは、幼少期の「小さな牧師さん」と呼ばれていた頃の聖書の影響→教義(神学)や教会(キリスト教共同体)への批判へ至るエナンティオドロミー(心的対立転換)と見得る。

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ニーチェにおけるエナンティオドロミーの可能性

 ニーチェは父母ともに敬虔なルター派キリスト教徒という家庭環境で幼少期を過ごしたが、彼が4歳の時に父が亡くなりキリスト教の神が善人を救うという教理に疑問を抱き始める。しかし厳格なキリスト者である母たちに育てられ、10歳頃には「小さな牧師さん」と呼ばれるほどの聖書の知識と聖歌の技術...