Tunes composed by 早





サイバー・ゴースト (1/n)

 夕焼けの底には、パイプオルガンのようにビルの楼閣や巨大な煙突が太陽を犯すためのシンフォニーの準備をしていた。義孝はバッグからウィスキーの入った小瓶を取り出し、1000メートルほどある山の中腹の展望台から、暮れていく街を眺めていた。音は風と葉の音以外はなかったはずなのに、山に潜む妖精たちが今から歌い出す準備のために発声練習をしているのが、どこからともなく聞こえていた。疲れをアルコールで麻痺させ、クッキーを齧りながら義孝は恭子に電話をかけるため、ポケットを探った。スマートフォンは見当たらない。どうしても恭子に連絡する必要のある義孝は2分ほど呆然としていたが、タブレットのアプリケーションで連絡を取ろうと思いつき、実行に移した。


「おつかれ。今、Mt.R332に来ているんだが、あの機械をどこにおけばいい?」

義孝はとくに狼狽はしていなかったが、街と森がとつぜん何かの音楽を初めそうな気がしたので仄かな焦燥に囚われていた。早口であった。

「駐車場の裏手の茂みに。詳しい座標はあのソフトウェアでいつもの画面の検索欄に4486775を入力すればわかると思うよ。」

恭子は研究所で助手のアルバイトをしていた。時給が2000円程と待遇が良く、実は胸に秘めたる科学への関心の発露の方法として、うってつけの仕事であったのだが、その研究所の職員にはアルバイトを含め厳重な守秘義務があった。義孝は研究所の職員ではないが、取引先の調査関係の事務所で働いており、表向きは森の自然音の採集ということで、Mt.R332へ来ていた。

「ありがとう。事前に調べて行かなくてごめん。一々訊くことになって。4日後まで期日があったが、今日近くを通り過ぎるし、そういうときのためにいつもバッグにあの機械を入れておいたんだ。連絡がついて助かった」

「それにしてもそんな仕事をしていて車を持っていないなんて信じられないわね」

恭子と義孝は同い年であり、自然音採集の装置の仕事でたまたま協働することになる以前からの知人関係を持っていて、この仕事で一緒になるという偶然には二人とも驚いたものだ。

「飲酒運転したくないから免許もっていないんだ」

「どうやって採用されたの?」

「それはこっちの守秘義務で言えないよ」

「意地悪。今日はご飯は食べたの?」

「胃が激痛を起こしてたから、食べない気でいる」

2人はいつのまにか仕事と関係ない話を延々としていた。恭子はちょうど研究所でのアルバイトが終わってカフェでタバコを吸いに席に座っていた。このカフェってビルの12階の東側のテラスだけど、義孝のいるところから見えるのかしら、もし仮に双眼鏡でもあれば、ふとそんなことが頭によぎった。


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健蔵は街を徒歩で歩いた。歩きたばこはおそらく禁止されているであろうが、自分が歩いているのは路地裏で人がいない。何に憚るでもなく、ライターでタール20のタバコに火をつけた。健蔵は義孝と10代のとき交友関係にあり義孝の4つ年下であり、最近までは4年以上も会っていない仲であったが、独自の調査によって義孝が探偵業界で働いていることを知り、ある目的で近づこうとしていた。しかしそれはこの頃の失恋からの傷心によって難しくさせられていた。彼は自分が家にいるのか飲み屋にいるのか幻を見ているのか、それさえわからないときすらあった。恭子とは一度だけ会ったことがあり、その時は義孝と三人で義孝のアパートで日常会話を楽しんでいたのだが、恭子と健蔵が二人で差し向って話したということは特になかった。


街の中心にある駅から徒歩20分というところにある居酒屋。妙に感動するいたいけな命名の料理や酒、それは実際のところ、どんな食べ物でどんな液体でそこにどんな物質が含まれているか、それは店の営業上の秘密というよりもっとこう、世の中の事情でわけがわからなくなっている、そんな酒を血管に泳がせてアテをつっつく。どうでもいいことを、妙な視点からつっつくように、どうでもいいような人と、話す。話した。その声には虚無の風に漂う綾だけがあって、その綾には蕎麦からピアノ線から虹から音波まであれこれと戯れてはいたが、結局それは虚無。そして帰り道、電信柱ごしに見える高層ビル、建物と建物の間にちらつくネオンの光、暗くて見えないはずなのになぜか妙に目につく電線の交錯、薄汚い猥雑な街の夜風と澱んだ光、そんな路地を歩いて、意識はずっと虚無、ここには何もない、あの飲み屋もこの建物もあの光もこの風も、かりそめの形なんだろう。この風を感じる皮膚ですら。わけのわからない化合物か何かの入った酒が注がれた血も。気がつけば電車の記憶もないまま家にいた。


気付けのためにアルコール純度の高い酒と慰みにアブサンを混ぜてみて、飲んでみる。この喉の焼けるような痛みが、洞窟に津波の被害が押し寄せたときに岩が崩れていくみたいに快感で、外か光が洞窟の中につくる影の形を変えていく。そして幻が見えた。またあいつがやってきた。手元にあった鎌でも投げてやろうかと思ったが、それが幻だというのはわかっている話で、高いアルコール度数の酒を吹っかけて燃やしてやりたくなったが、あいつは物質ではない、風でも視覚印象ですらない、形而上の数学的な線や曲線が物質界にたまたま顔をだしたっていうだけのことらしい。あいつはまたいろいろと教えてくれる。


「奇形児って知ってるだろ。たとえば目が胴体あたりについて生まれてきた赤子。たとえば手がもう2本ほどついて生まれてきた赤子。たとえば身長が1m以下にしかならなかった青少年。そういう殺処分される素材というのは、今の世の中じゃむしろ利用価値があるものとして、秘密裏に研究を行ったりする組織にかくまわれて特殊な教育を受けたり特殊な環境で鍛えられたりする。で、危ない化学物質を大量に注がれた小人であったら運動能力を鍛えられ、追跡や工作の要員として利用される。他に、異様な頭脳をもって生まれてきたとしたらさらに化学物質を注がれて認識や知覚の機能を特異にさせられ、行動心理学の実験ラットにされるか、または諜報活動などの人材に仕立て上げられる」

あいつは薄笑いさえせずに、淡々と静かにこういう言葉を発した。酩酊していたので、どうでもよかった。家の奥にある生き物の死体が並べられている部屋、明かりは電灯でもなく蝋燭でもなく、アブサンなどによる脳の異常な活性化がひきおこす物の発光。時間は0時を過ぎていたが死体やらがらくたやらも、あいつの幻もはっきりと見えた。その鮮やかな幻の表情には気だるいが陰鬱でもない妙な冷たさ。相手をしないようにしようと思ったが、つい答えてしまった。

「それがどうしたって。そんなわけのわからん秘密裏の組織とやらなんてあったってなかったって秘密裏であって世の中の表には直接関係ないんだから」


詭弁のような文法にもなっていないような感じで自分でも苦笑した。あいつはいつもの淡々とした気だるい目ざとさでこちらの唇の動きを読んで、そこから返答を考えているらしい。こっちの酩酊した答えなんてどうでもいいといった風に。沈黙が続いていたしとりあえず意識を失うまで飲むか睡眠薬で無理やり寝るかしたかったので、炭酸リチウムとフルニトラゼパムをなんとなく手にとってみた合計15錠ほどを飲んでみた。どっちが何錠あったかなんてわかりやしない。眠りについてあいつの行ってくる不気味なそれでいて現実にありえそうな話から逃れたかった。が、こちらが錠剤を飲み終えると同時に、あいつは口を開いた。

「炭酸リチウムの作用機序って知ってるか。俺は知ってるが詳しくは言えない、単純だが脳全体に作用するから説明するには複雑になるってことなのだが。要は、脳内の電位を変化させることで安定させるってことだ。で、電磁波ってわかるよな。今の技術じゃそんなに大きくない装置でコストもかけずにそこそこピンポイントで強力な電磁波を照射させることができる。それにリチウムイオンによる脳内の電位変化が反応したらどうなるかわかるよな」

部屋は暗くなった。つまりもともと光がないが、アブサンなどによって視覚やその受容が活性されていたために、光がなくても物が光るように見える状態が、終わった。要するに、心がその言葉で説明のできない冷たい吐き気を催させるような、そんな感じになったせいで、アブサンの酩酊作用が消えただけのこと。つまり部屋は暗くなったと同時に、幻視であるあいつも消えた。


冷たい吐き気と炭酸リチウムが胃に齎す不快感で睡眠薬の効果も切れて、目が覚めた。部屋は真っ暗だったがランダムに手を伸ばしたところにあった古い蛍光灯のスイッチに指が触れ、明るくなった。雀の死体、10年以上前のおもちゃ、崩れた本棚、そういうものがさっきの幻視でみた悍ましい童話の趣とは違ったふうに、現実の有り様で見えて、不安感よりむしろ笑いの感覚が起こった。まさにその笑いの発作のとき、あいつの言っていたことが鮮明に理解できた。現実の社会上のこととして。


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義孝が自然音収集の装置の仕事を終えた次の日、23時頃、恭子と義孝はバーで主にプライベートなことを話していた。室内の明かりは暗め、内装は赤と青のオブジェクトが多く、シャンパングラスが逆さになって収納されていてる。しかし高級店というわけではなく、客層は残業のあったサラリーマンであったり、そこらへんの中年のならず者などが多く、タバコの煙が入店時は充満していた。客が減り、煙の濃度が薄くなったところで、恭子はふと健蔵のことを思い出し、少し眠そうにしている義孝に尋ねた。横顔はウィスキーグラスをぼんやり見つめていた。

「ねえお疲れのところ唐突に聞いてわるいけど、義孝、健蔵って人いまどうしてるの?」

「あいつなら、少なくとも3か月前に通話したときはIT系の会社で働いていて、公安関係の仕事のビジネスパートナーをしているらしいよ。ただ、あいつ飲んだくれだからすぐクビになりそうだし、たまにノイローゼみたいに朦朧としてるから、今はどうしているかわからないな」

義孝はふと、一週間に一度くらい訪れる悪い予感が頭によぎり、目を一瞬伏せた。

「そっか。どうしたの、なんか気分悪そう。酔うほど飲んでないのに」

「なんでもないよ。昨日の仕事で疲れただけ」


義孝は仕事柄、ライバル企業であったり暴力団関係であったり、または公安系の下請け地方公共団体であったりの調査員や探偵の類に追われることがあった。そのことは恭子は薄々気づいていて、気分の悪そうにしている義孝の代わりに、店内をそれとなく見渡していた。怪しい人物は特に見当たらなかったが、さっきと椅子の数が8つか9つも違っているような気がした。客が減ったとはいえ、この店は27時まで営業しているし、今からは終電を逃した客層がそれなりに押し寄せてくる時間でもある。


義孝は顔を上げてだるそうに甘ったるい語調で口を開いた。

「健蔵って本職以外に何かしてると思う?」

「知らない。ていうかほとんど知らない人だし、想像つかないわ。ただちょっと奇人っぽいなとは思った」

恭子は店内の様子を伺っていたためほとんど上の空で答えていた。

「今度、3人で会わないか。久々に。まだ前のが1回目だっけか」

「いいけど、なんで?」

恭子は興味なさそうという感じを装ったが、実はこういう話には興味津々で、怪しい香りのするものには飛びつく性格であり、その表れを義孝は察しとった。

「いやさ、あいつって、公安関係で仕事しているし、あいつのことだから本職の現場をスパイしそうだし、副業やってるとしたら俺がやってる業界関係かもしれなくて。ちょっと調べたい」

「私がいていいわけ?」

「その方が話を引き出しやすい」

「はいはい、どうせ私を道具のように使って話すんでしょう」

「悪いようにはしないよ」


(to be continued)

サイバー・ゴースト (1/n)

 夕焼けの底には、パイプオルガンのようにビルの楼閣や巨大な煙突が太陽を犯すためのシンフォニーの準備をしていた。義孝はバッグからウィスキーの入った小瓶を取り出し、1000メートルほどある山の中腹の展望台から、暮れていく街を眺めていた。音は風と葉の音以外はなかったはずなのに、山に潜む...