Tunes composed by 早





入院中の日記 1月 2/2

 生活保護、喪失、音程、メンヘラ

退院の予定日は今のところ2/15です。退院後は親に生活保護を強制されそうです。特に問題なく労働できるのですが、親の意向でどうしてもと。

躁鬱病で医師は生活保護貰えるような診断書を書くのは問題ないみたいです。自分としては働きたいし、収入を得たいし、欲しいものを買って旅行もしたいのですが、生活保護を避けられそうにない事態。

どちらにしても生活保護は一人暮らしなので、勝手に働いて収入報告して、打ち切ってもらえばそれでいいかなと。

躁鬱病とテクノロジー犯罪被害があるとはいえ、まさかこんなに落ちぶれるとは思わなかった。中学のころは偏差値85とかで全国1位の成績だったこともあったし、病気や犯罪被害が少ないときはちゃんと社会生活して海外旅行とか色々普通以上にしていたのにな。こんな社会の最底辺になってしまったのが、嘆かわしい。けど、とりあえず1か月で生活保護停止を目指して、退院後はがんばろ。

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躁鬱とテクノロジー犯罪被害によってとにかく人生滅茶苦茶にされている。テクノロジー犯罪被害で精神状態をおかしくされたり、いちいちの心や行動を遠隔制御されてめちゃくちゃなことをさせられるし、自分が狂乱状態にあるだけでなく、他人に迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。最近色々分析した結果、テクノロジー犯罪による脳の遠隔制御はかなり細かいところまで操作できるようで、ひとつひとつ狂人の言動をとらされていたこともあった。

  躁とか犯罪被害による発狂のたびに迷惑をかけ、友達が減っていっている。今回の気違いでも友達を失うんだろう。迷惑かけてごめんなさい。

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テクノロジー犯罪は信じがたいほどの科学技術を使っている。たとえば全身のどの部位も自由自在に遠隔制御でき、ギターを指の遠隔制御で弾かせることもできる。

ここ4年くらいたまにやられる被害として、正しい音程で歌えなくさせられるというものがある。もともと音程は苦手なほうではあるが、この被害を受けているときは明らかにおかしい音程になってしまう。

  歌っているときに、突如、音程が解らなくなる。歌っている歌声の音程だけでなく、聞こえてくる音のすべてが全く音程をもたない音となって聞こえてくる。もともと多少の絶対音感を持っていて、曲の楽器の音であれば音名にして聴こえるようにできるのに、それがまったくできなくなる。歌っていてしゃべっているように音程のない声を発しているようにしか聞こえなくなる。つまり、頭の中の音感に関する脳活動をほぼ停止させられているということであろうと思われる。

とにかくこれをやられると全く歌にならない。精神病院のカラオケで人前で歌うときに3回に1回ほどやられていたことがあって、歌う気をなくしてしまった。去年、友達と遊んでいた時にも何度かあった。今年も精神病院のカラオケをやっているが、今年は1度だけやられたけど、それ以外は大丈夫。ガールズバーで歌っているとき…は、一度も音程なくされたことはない。

とにかくいつやられるかわからない被害である。ボーカルでバンドをやりたいので、憂鬱になりそうだ。これライヴ中やられたらライヴにならないため、もうこの被害がある時点でバンドでボーカルは無理なのだろうかと。ボーカルだけでなく、ドラム以外も厳しいような気がする。

音程だけでなく、思考能力や想起・記憶の能力は10年ほど前から著しく落とされている。昔は自分でいうのもおかしいが、とんでもなく頭良かった気がするが、最近は全然だ。1ページくらいゆっくり読んだら覚えられたのに、今は覚えられない。西洋哲学についての複雑な思考ができなくなった。とにかく犯罪で脳を制御されて機能を落とされるのはやってられない気になりっぱなし。

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青春時代やそのあとくらいまでは、自分は結構酷いメンヘラだったと思う。人間なんて全員屑みたいな存在で、何も考えず虚構みたいな楽しみを共有し、軽薄な言動を交わし合って非本質的な意義の体系で、なんとなく生きている意味のない存在だと思っていた。テレビには人間の悲惨、社会の不条理、諸悪の動乱が写ってばっかな気がして、鬱になっていた。

それを解消したのはなんだろうかとよく思うが、色々ある。西洋文学で未知の人間の営みをたくさん読んで、人間認識を飛躍的に広げたこと。ニーチェなど実存主義哲学をしっかり読んだこと。フロイト、ユングやそのあたりの精神分析学や分析心理学の源流の心理学者の著作を乱読したこと。今あげたジャンルの著者の本をよく読んでいる年上の友達ができて、たくさん色んな話をした。テクノロジー犯罪で10年ほどの過半数の期間、感情を消されていた。色んなことが要因となって全世界に対するネガティヴな感情や意識は消えていった。

今度は、精神的な悩みというものではなく、躁鬱のどうしようもない波に悩まされている。おそらく躁鬱事態、脳の遠隔制御技術の人体実験の中で生み出されている波であろうと思われる。家族には、父がサイコパスっぽいという症例はあるみたいだが、気分障害や鬱病や統合失調症の遺伝的因子はまったくないのに、私は医師からは重度の双極性障害Ⅰ型と診断されていた。最近診断名変わったが。

人体実験の被験者であることから抜け出せたら、躁鬱も治るだろうに。被験者に選ばれてしまった主要な理由が、「神経細胞の軸索誘導の遺伝子が極めて優れている」ということらしい。加害者によると軸索誘導やシナプス形成力が凄いらしく、貴重すぎる実験サンプルとなっているため、それが理由で私に永遠の命を与える可能性もあると言っている。加害者はめったに嘘をつかないため、たまに信じたくなるけど、ありえないかな。ただ、技術的に永遠の命とまではいかなくとも数世紀の命はあると思う。

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 入院生活も楽しくいこう(無理)



本を読んでばっかもいいかなと思っていたけど、夜に読む時間あるし、昼も同じことし続けるのは飽きてくるから、昼は患者さんたちとしゃべるようにしている。最近は、毎日10時間ほどしゃべっているような気がする。コールセンターのことばっか話してくる女子は退院してしまって、今は男5人くらいでだらだらとしゃべりっぱなしである。

  でもやっぱり退院したい。DTMとかギターとかやりたくてうずうずする。

作業療法の時間、アコギを弾いていいので、その時間はよく弾いている。アコギはずっと持っていなくて弾いていないが、久々に弾いてみると弾き語りが楽しい。

ミスチルと尾崎豊の曲いくらかの弾き語りを覚えていた以外レパートリーがなかったので、何弾こうと思ってたら、Nirvanaを弾きたくなった。あんまり弾き語りをしたことはなかったけど、いっぱい聴いてたし、バンドでギタボでコピーしたことも何度かあったため、アコギで弾き語りが成立した。

作業療法士の男性で元ベーシストだった人に、Nirvana弾いてましたよね、Nirvanaってアコギでもやっぱいいですね、と言われた。たしかに、Nirvanaは簡素な曲でアコギで映えやすく、メロディもコード進行も独特でありつつポップでもあるいい曲が多いので、暗い曲だけど弾き語りしてもすごい名曲に聴こえる。

ほんとにいい曲はどんな編曲や楽器になっても素晴らしいんだろう。

入院という果てしない時間の無駄もちょっとは楽しく過ごしていこうと思っているが、やはり虚無。



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 コミュニケーション、正常、パリと精神病

最近は男性4人と話していて、31歳~51歳で、そのグループで割と普通に話せている。なので正常ではあると思われる。今入院しているところは外出や外泊ができない病院なので、ずっと病院に幽閉されたままではあるが、毎日5人で10時間前後しゃべりっぱなしなので、それなりに退屈しのぎになるし話が面白いので、まあいいやと諦めがついている。グループのうちの1人とは連絡先を交換した。その人は家族から家を追い出される予定でおそらく私の住んでいる市に住む予定で、また私も母に家を追い出され生活保護を強要されているが同じ市に住むことを強要されていて、家が近くになる予定だ。

女子とは連絡先交換できていないな。一瞬元同僚だったコールセンターで働いてる女性とはよく話したけど退院してしまって、若い女性がほかに病棟にいないかいてもずっと部屋にこもっているかで話す機会がない。20代前半は精神病院を出会い系のように使ていたし、病院で知り合って付き合った人いてヒモになったりしたが、もうできる気しない。

いつも「おにいさん、歌うまいですね」て同じ言葉を何度もかけてくる40代のおばさんがいて、病名は統合失調症と認知症。精神病院には普通に話せるし社会生活できそうな感じの人と、あきらかに社会生活は困難そうな人がいるけど、完全に後者で重度の人で、毎回同じようなことを言ってくる。その人が実は普通科の大学卒業した後にパリの芸術系の大学で絵を学んでいたということを聞いた。なので、その話をきいてみようと思っても、さっき言ったこと何度も繰り返したりでまったく会話にならず、とりあえず風景画を中心にやっていたということしかわからなかった。パリに単身で飛んで絵の勉強していた人も、脳の病気で全くわけがわからなくなってしまうんだなと、少し悲しくなった。

とりあえずその絵の好きなおばさんは私の歌に毎回感動しっぱなしであって、ただ拍手されるならいつもだけど、感動してくれるとなかなかうれしいものだ。作業療法のお姉さんもビートルズ好きな方がいて、Let It Be 歌ったら、泣きそうなくらい感動してくれて、ただで聞かせていただいて感激です! って言われた。今日はラルクを歌ってみた。圧倒的な声量だったらしく、拍手喝采だった。ボーカル行けるんじゃないかと思った。すごい大きな拍手をされると、なんやかんやと嬉しいものです。



私はいたって正常だと思う。場違い極まりないほど。入院前はおかしくなっていた。躁状態なだけでなく異常な思考回路が働いていたが、まちがいなくテク犯もよるものだ。躁で入院したことはたくさんあるが、今回はいつもの躁に加えておかしい考えで生きていて人の言葉もおかしい考えで解釈して異常なリアクションをとっていたように思う。今回の躁は迷惑かけただけでなく異常な言動によって気持ち悪がられたような気がするが、とにかく友達いっぱい失っただろうな。

入院で友達が一人増えた感じだけど、年々友達が減っている。躁とテク犯のせいだ。そのうち一人になってしまうんだろう。まじで学問と音楽を友達にしたいので、勉強と楽器と作曲などは真剣にがんばりたい。

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 痛覚1000倍

右手首に激痛がきてて箸も危うい。左手でタイピングしてる。原因全く不明。

テク犯加害者にきいてみたらテク犯でやってるとのこと。病院に入院中だけどテク犯被害であれば治らないので痛み引くまで待つしかない。

思えばテクノロジー犯罪で人生が大きく破壊されている。躁鬱もテク犯だろうと思われるし。だれも理解してくれない被害で人生が損なわれ続けるのはきつい。2年前はブレインジャックされながら暴行されていた。それを精神病と言われるのはやりきれなかった。

今は被害マシになってて、加害者と話して遊んでるけど。加害者はだいたい女性で、何の意図か私と色々話すことに興じている。

今は激痛攻撃そんなにないけど、昔お腹から胸にかけて全血管が有刺鉄線になって肉と臓器が切り裂かれるような痛みで気絶しかけたことがあった。普通の痛みの1000倍くらいはゆうにあった。おそらく脳活動遠隔操作で痛覚を操作で生み出したと思われる。そうであれば理論上無限の痛みを生み出せる。今回の手首の痛みも激痛にされたらやだな。

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 英語のスペシャリスト

最近、友達になってくださいと言ってくれた人がいて、その人が帰国子女でバイリンガル。元大学の講師で今は翻訳家。

その人の話を聞いて、前々から翻訳家も職業の選択肢だったけどなおのことやりたくなってきた。翻訳家になるためにはTOEICの点数や学歴はほぼ関係なく、翻訳会社のトライアルテストというのを受けて突破すればいいらしい。そのトライアルテスト突破のレベルはTOEICでいうと950点、英検でいうと1級レベルで、なかなか困難ではあるが、いけそうではある。

仕事内容も教えてくれてほんまに目指そうかと思ってきた。どっちにしろ大学行くつもりで東大文学部英文科であるから英語の勉強はたくさんできる。コールセンターもプログラマも生涯の職業にはしたくない。翻訳家はやってて楽しい仕事と言っていたし、言葉を扱うのはもともと好きだし、向いているかもしれない。

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 宇多田、ガールハント、悪魔のささやき

病棟で看護師詰所においてあるCDプレイヤーを借りてCDを数人で聴いてたら、懐メロばっかで懐かしい気分になった。とくによかったのが宇多田ヒカルの初期~中期のシングルコレクション。全部神メロすぎる。First Love はいい曲すぎて泣いてしまった。曲作りたい心がさく裂して、宇多田みたいな神メロの曲を作ってみたい感じ。はやく退院して音楽したい。

男5人ほどで10時間以上話していると楽しいけれど、やはり女子がいないとなあとか。昔はできて成功したことも今ではできる気がしない。同じ病棟というだけで見知らぬ女の人に話しかけて仲良くなるというやつ。そろそろ彼女作らないとな。10年近くいない。そのうちの7年は、感情と性欲を消されていたので仕方ないというのもあるけれど、とりあえず数か月前に復活して躁が終わっても感情はある。

好きだったかもしれない人はいるけど、躁状態でひどく迷惑をかけてしまって嫌われて縁が切れたかもしれないし、病院で探そうかな。作業療法のときにカラオケでいつも歌褒めてくれる30くらいのお姉さんとか、おとなしいおっとりした人とか、ちょっと話せる人がいる。他にも新しく自分のいる病棟にきた人が結構たくさんいる。

テク犯加害者とそのことについて話していると、「水玉模様のパジャマ着てた2階から転棟してきた人がお前に気がある」らしい。全く喋る気配がない内気だけど気の強そうな、統合失調症ではなさそうなというより病人には見えない20代後半くらいの人。ちょっと神経質そうなオーラなので声かけにくいが、テク犯加害者は周りの人たちも思考盗聴しているとのことで、その人が私の事をすこし気にしているとのこと。周囲への思考盗聴は前例があるので本当の可能性があるが、気があるのは嘘の可能性が高い。

精神病院は職場とかよりも出会いに溢れている。若い男女が多い病棟か否かという運にもよるけれど。というより喋る以外は本読むしかやることがないからとりあえず誰彼かまわず話したくなるし、20代30代だったら噂になってる人がよくいるものだ。今いる病院では今回の入院ではないけど、2回告白された。メンヘラにしか好かれたことはない。

テク犯加害者によると、長期間感情をほとんど消すとどのようになるか実験してたみたいだけど、数か月前にそれは終了し、感情を普通の水準にしていろいろと実験するらしい。それで、恋愛は実験価値があるので、積極的に交際しろとのこと。しかし、長い関係にならないように、幸せを長期間味わうことのないように単期間で感情操作やブレインジャックなどで関係を終わらせるとのこと。なぜ尋ねたら教えてくるのか、そもそも本当のこと言っているのかわからないけれど。行動心理学とかの実験というより、脳活動を細かい単位で聴取する実験のようだ。私は長年TIであるのでコンピュータと脳の同期が進んでいるから。とにかくせっかく彼女ができてもすぐに関係壊されたらやってられない。

入院中の日記 1月 1/2

新しい年

あけましておめでとうございます。 酷い躁状態になってしまったので精神病院に入院しています。 また私は非同意の人体実験のモニターになっていて、主に神経活動を操作されているのですが、その実験の中でブレインジャックをされていました。 そういうこともあり、狂った書き込みや過激な投稿、大変失礼いたしました。 入院は3カ月の予定で、3月末に退院すると思います。 新年のあいさつが精神病院からで恐縮ですが、今年もよろしくお願いします。

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メール等で謝罪したい方が何人かいるのですが2段階認証設定のため病院からメールが送れず、こちらで謝罪します。

頭おかしいこと言ったりメッセージ等で送ったり書き込んだりしてごめんなさい。 ぼろかす言ってごめんなさい。 苦しめていたらごめんなさい。 怒ってばかりでごめんなさい。

ずっと躁でした。 病院で隔離されているうちに気違いは治りました。 躁でないときは正常なので、これからも友達でいてくださるとうれしいです。 去年は俺がおかしい状態多かったのに、ありがとう。今年もよろしくお願いします。

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 攻撃性

なぜ私が女性に対して攻撃的なのか?

集団ストーカーの被害の中で、ものすごい数の女性に嫌がらせ等をされた。 たとえば、 電車で下ネタをこっちみてにこにこしながらささやかれる、乳を当てられる、股間を触られる、女子高生まで下着をスカートの上から引っ張って性的アピールしてくる、脚を広げてきて下着を見せてくる、電車以外でも、写真を笑いながら撮ってくる、知ってる女性の名前を言ってくる、はみパンを見せてくる、セクシーポーズをとってくる。職場で集団ストーカーがあったときは、同僚や上司の女性に主に下ネタでよく嫌がらせをされた。男性からはそんなに嫌がらせをされたことはない。女性からは10年間の集団ストーカー被害の中で、毎日数十回から数百回も被害を受けたため、おそらく10万回から100万回ほどはセクハラの被害を受けていることになる。

おそらくそのせいで、女性に対して攻撃的になってしまうことが多い精神構造となってしまった。躁状態のときキレまくるし、そのときひどいことを言ってしまうことがよくある。すいません。なんとかなおします。PTSDにはならない気質なのですが、さすがに100万回もセクハラされて生きてきたとなると、どこかで蓄積した怒りや攻撃心があるみたいです。まず躁状態にならないように気を付けます。

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 狂気のワケは?

躁状態ではあったが、ありえないような気の狂い方をした。

今いろいろと思い返してみても、なぜそのときそのように思ったのか、とくになぜそうしようと思ったのか動機の部分について自分でも不明の事が多すぎる。

完全に動機が狂いまくって行動が支離滅裂になってしまったような狂気ではなく、一定のおかしな思想に基づいて気を狂わせていたようだが、その一過性の変化した思想というのが全く自分のものとは思えない。全般的に気の狂い方がおかしいだけでなく、前述のとおりひとつひとつの言動の動機が自分でも全くわからないようなことをたくさんしている。

とにかく普通に考えても、記憶をたくさん回想して精神分析的に考察してみても、今回の躁状態での狂気や奇行というのが私の所産から導かれるものではないという結論に達した。

一言でいえば、ブレインジャックされていて気が狂っていたということだ。この脳活動の遠隔操作技術というのは一般に認知されていないが、報告があるだけで日本で数千人のその技術の悪用の被害者が確認されている。私もその一人であり、非同意の人体実験被験者として様々な神経遠隔操作、ひどいときはブレインジャックを行われている。

ひとの意志を司る脳の神経細胞群の動きまでも遠隔的に制御して、人をおもいのままに操作する技術がブレインジャックであるが、これをやられているときというのは、主に2種類ある。視聴覚はあるが意志で体を全く動かせず、なすすべなくうごかされるままになるのと、もう一つは自分の意志で意識や体を動かしているつもりで実は遠隔操作により意志ごと動かされているものである。

後者のブレインジャックは、本人さえ実験オペレータの意志なのか自分の意志なのかわからず、実験に慣れていない限りは実験オペレータに意志を動かされているにもかかわらず自分の意志であったと誤認する場合が多い。私はこのタイプのブレインジャックをyよくされている。

たとえば、iPad Pro の約11万円の機種を購入したのだが、購入直後になぜかベルトで枕を叩きたい衝動に駆られて、枕を叩いていると、近くにあったiPadに直撃して、画面が大きく破損してしまった。これはあとあと思い返すと、なぜベルトを振り回したくなって枕を叩きたくなったのか不明で、ブレインジャックによるものとしか考えられない。

おそらく躁状態も脳の遠隔的な制御によって起こされたものとみられるし、躁状態で行った色々な奇行もブレインジャックによるもので起こされた可能性が極めて高い。加害者が喉の遠隔操作をして私にメッセージを言ってくることがあるのだが、加害者によるとやはりブレインジャックをしておかしい狂った躁状態にしていたとのことだ。明言はしてこないが、行動の一つ一つの動機や過程の微細に至るまで操作されていた可能性が高く、もはや私はこんなことされたら次またいつどんな狂気に陥るのか不明であるから、非常にお先真っ暗である。

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 入院生活

すごい退屈です。ほとんど何もなく、ただ病室で本を読んでいるだけのことが多い。

病院によるけれど、今入院中のところは携帯禁止、携帯ゲーム等禁止で、自由に持ち込んでいい娯楽品は本と漫画くらいです。なので小説を主に読んでいますが、来年か再来年に東大受験を考えているため、教材をもってきてもらい、英語や世界史などを勉強しています。 

病院の設備でできることといえば、たとえば今日はカラオケがありました。病棟のホールにカラオケの機材をもってきてくれ、交代で歌いました。自分は音楽をやっているので他の人と比べたら歌唱力が圧倒的すぎて、場違いな感じがしました。女子たちにキャーキャー言われました。やったー。

あとは平日は2時間ほど、パソコンをさわることができて今やっているようにインターネットが制限付きですができます。今まで同じ病院に何度か入院しましたが、決まって大麻中毒者がいて仲良くなったものですが、今回はジャンキーは一人もいなくて、みんな真面目な感じの人です。

男子数人と女子一人と仲良くなりました。一昨日あたりからその女子に漫画を借りました。『機動戦士Ζガンダム』面白くて熱中しています。男子の中の一人とはアドレス交換して退院後も友人であり続けそうな感じです。20代前半の時は今よりコミュ力があったためか、メンヘラ女子かたっぱしから喋り相手にして病院内ハーレムをしてたような気がしますが、最近はそんな芸当はできなくなっております。もっと話しかけようか女子にも。男子とだらだらしゃべってるばっかだと飽きてくるし、ときめきがないからだれか女性の話し相手捕まえよっかな。

とかいう衝動が起こるほど、暇である。おとなしく本をたくさん読むことにでもしようかなと思っています。でも本を読んでもやはり時間を捨ててる感は否めない。

働きたいし、趣味とかやりたいので、この入院中の時間があまりにも無駄に感じられ、とにかく早く退院したいです。

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 狭い世界 偶然

病院内のカラオケであんまり気が進まなかったけれど歌ってたら、コールセンターですかと言われた。歌声がコールセンター業務で作られていく声ぽかったと言われた。

自分の歌声はコールセンターで働き始めるずっと以前から、純粋に音楽的に作っていって音色付けていった声だったけれど、ただたしかに普段しゃべる声を大きくしたときにはコールセンターの電話対応の声っぽくなることがあるので、歌声にも影響があったかもしれない。

とにかく歌ってたら職業を言い当てられたわけではあるが、その女子も長年コールセンターで働いている人だった。それでずっと仕事とか職場とか会社とかの話をしていたら、K社がよかったという話で意気投合した。

そしてK社の仕事のことを話していると、偶然にも全く同じ時期に同じ部署で働いていたことが判明した。思い出してみると、たしかに職場でとなりに座ったことある人だった。相手方は忘れているようであったが。上司の誰々トークで盛り上がったりしたが、それにしても病院で入院で病棟同じになった人が元職場の同僚って偶然もすごいことがあるものだと思った。

カバー・コピーしたい曲 最近のギター

DEMOですが、Mr.Children の Loveはじめました をカバーしてみました。





他にカバーしたい曲がたくさんあります。

Mr.Children / シーラーカンス




L'Arc~en~Ciel / HEAVEN'S DRIVE




NIRVANA / Come As You Are





など。
今年度中にカバーしてみようと思います。


最近は、ギターの弾き方を変えています。プリングオフとハンマリングオンを暫くは完全に使わないようにしています。そのせいでソロのリズムがめちゃくちゃですが、いったんはこれに慣れようと思う。しっかりできるようになったころに、クラシックギター練習して指板の指を素早く動かせるようにして、プリングオフとハンマリングオンをエレキギターでも使うようにして、2倍速で弾けたら、速弾きができるようになるのではないかという魂胆です。とにかく、今までの音符の短さを一音一音ピッキングして、その真ん中でハンマリングオンとかを使って、2倍速にしようと。できるかわかりませんが、ハンマリングオンとか無しの練習はなかなか指にとって機能的にいい練習だと思いました。

Where is Memory?

24歳のときに書いた英作文であるため、考え方や文法に間違いが存在する可能性が高いです。


 (The following is not based on firm evidences but a result of my intuition.)

(And I'm sorry my English is sometimes wrong or too poor to describe abstract affairs such as the following.)
(Here I mean by the word Memory not memorizing but memorized contents.)

Generally, scientists and modern people under their theories think of Memories as being stored in a Brain, but I don't think that. I think, though a brain have the function of taking in the images of things which the nervous system perceived and the function of recalling these images, it don't have the function of a storehouse. Likening memories into water, a brain have roles of watercourses and valves but don't have the function of a water tank.


Well then, Where are memories stored. But there is a nonsense in this question. That is the fact that we apply memories to the concept "where" Naturally, and Actually memories have no places in the sense of our ordinary thinking. And our tendency to allot memories to Place, Brain the firm material realm, is involuntary wrong application due to the fact that we live experiencing the three-dimensional space ordinarily, that is our unconsciously confusing spirit with matter, I suspect.

Fundamentally speaking, regarding three-dimensional space, it have not been varified perfectly as actual existence, or some people say that it is no more than a tool or a concept through which we human beings feel the outer world. Adopting this theory here, three-dimensional space is the concept which spirit invented for life to live in this world conveniently. By the way, Memory is a such thing that is more fundamental and essential than a tool to live, I think. That is to say, memory is not a thing that spirit have invented but the tracks of spirit itself, process of life. Then returning to the earlier problem, applying perfectly the concept, that is no more than a tool to grasp, to memory, that is essential movement and tracks of spirit itself, is obviously false if we think that way. To say, memories don't exist in a brain that is physical and three-dimensional space. Spatial places don't correspond to memory, but memory exist at a Place which we are hard to call as Place. Boldly speaking, even if a brain vanish, it can be possible for memories to exist Somewhere. Merely, it is difficult to indicate the Somewhere by a clear concept of Place, which is often haunted by three-dimensional space. Anyway, if only we separate memory from the physical concept, three-dimensional space, it is obvious to us that memory exist somewhere but the brain.



一般的に、科学者やその理論の影響下にある現代人にとって、記憶は脳に保存されていると見なされているが、私はそうではないと思っている。思うに、脳は神経系が知覚した事象の印象を取り込む機能や、その印象を思い出す機能は持っているが、記憶の保存庫としての機能は持っていない。記憶を水に喩えるなら、脳は水路やバルブの役割を持っていても、貯水の機能は持っていない。

では記憶は何処に保存されているのか。しかしこの問いには一つのナンセンスが含まれている。すなわち、記憶に「何処」という概念をあたりまえに当てはめてしまっているということであり、実際のところは記憶には私たちが一般に思っている様な意味での場所など存在しなく、私たちが記憶に対して、場所、脳という確固たる物質的領域をあてがいたくなるのは、私たちが日常で三次元空間を体験しながら生きていることに依る無意識の間違った適用であり、精神と物質の無意識的な混同なのではないのだろうか。

もともと、三次元空間だって、それが確固たる実在として完璧には立証されていない、いわば人間が外界を感じるときのための道具や概念でしかないという説もよく見受けられる。その説を採用して、三次元空間も生命が世界を便利に生きるために精神が開発したものでしかないとしよう。ところで、記憶というのは、生存のための道具というよりも、もっと根源的で本質的なものではないだろうか、すなわち精神が開発したものではなく、精神の軌跡そのものなの、生命の過程そのものなのだ。そこでさっきの問題に立ち返ってみると、精神の本質的運動そのものとその過程である記憶に、精神が生み出した単に生存のための一種の捉え方でしかない三次元空間という概念を、ぴったり当てはめることは、こう考えてみると明らかな誤謬になる。すなわち記憶は脳という物的三次元空間には存在しない。空間的な場所が対応しているのではなく、場所とは呼びにくい場所に存在している。大胆に言ってしまえば、脳が消滅したとしても、記憶は何処かにある可能性がある。ただ、その何処かというのが、はっきりとした場所という概念で示しにくい。場所という概念には三次元空間という概念が普通はよくつきまとっているから。とにかく、記憶を三次元空間という物的概念から引き離せば、その場所は脳ではない何処かだということは明らかだろう。

2020/11/26 生駒山



枚岡山展望台より東大阪市



東大阪市荒本



枚岡山展望台 

近況と雑感

東京へ旅行に行って、色々なことがあったが、とにかくなんとか家に落ち着くことはできた。

しかし思い煩うことが2~3個はあり、なかなか大変な10月であり、センター試験の出願が完全に頭から忘却されてしまっていて、期日中に出願するということをすっぽかしてしまい、今年度は大学入試を受けることが出来ない状況になってしまった。といっても、1年目は経済的な理由から休学する予定であったし、海外留学のための奨学金が欲しいことからなるべく主席に近い入学で、入学後は主席を狙っていこうと思っていて、1年目休学するとそれが困難になることから、今年度大学受験できなくなったことは幸いかもしれないと思った。

やりたいことが多すぎるが、それを阻止する事象がまた、多すぎる。スマホを無くしてしまった。盗難に近い方法で失ったのだが、詳細は省くとして、LINEなどができないのは不便極まりないし、ある事情からPCでLINEにどうしてもログインできないという状況のため、友人たちと連絡がつかないのがもどかしい。

やっとauの補償サービスのiPhone交換機を手にしたが、今度はapple IDでアカウントにログインすることができないため、まだスマホは電話はできるがアプリは使用できない状況。人とのアクセスが色々と断たれてしまい、孤立して、また自分も母も借金しかないので、このまま孤独死でもするんじゃないかとまで思った。この時代に文明の利器を失うことがどれだけ深刻な問題かを痛感した。

幸い、仕事を失うことはなかった。来年の冬あたりまでは割と暇なので、受験勉強とかに縛られず、色々な本を読んだり科学の興味の分野を勉強したりして、教養を高めていこうと思った。それと交友関係がある程度仲のいい知人と呼べる人は割といるものの、友達と呼べる人が少ないので、今から受験勉強が必要な来年の冬までは、知己を得ることを心がけ、仲の良い友達を何人かつくろうと思う。

Twitterのどこかのアカウントに今年の抱負を書いていたが、思ったより達成できているのではないかと思った。8割達成を厳守しようと思ったが、あわよくば8割であればいけそうだ。アメリカとインドに行くという目標があったが、1月時点では新型コロナウィルスが日本で深刻化していなかったので楽観していたが、コロナは予想外に深刻な問題らしい。何故コロナという現象が起こっているかはある程度は解明しているが、ここでその詳細は書かないとして、とにかくワクチンや医療体制がどうこうというより、人類学として非常に興味深い分野なのではないかと思い始めている。

最近の世界を沸かす騒動が、一体人類の歴史にどのように位置づけられ、あとでどう解釈されるのか、よい未来のために現状の惨事をどう記述し報道し、その履歴や言論を保全するべきなのか、これは大きな課題であり、一人ひとりが個人的な体験から俯瞰的な解釈までそれぞれの裁量と現状に合わせて責任を伴う意見として人と流通させるべきではあると思う。とくに日本では、国際社会で行われている色々な危機が風潮的にも報道的にも伝わりにくくなっていることがうかがえるのであるが、それでは国力を失い、実際には激動している21世紀を体外関係上、国として成立することを難しくするのではないかとまで危惧することができるのではないか。もしそうであれば、日本はもはや先進国でなくなってしまい、世界からとりのこされた遅れた島国にでもなってしまうだろう。国力を維持するには、国の成員全員が事実であったり風潮であったりを問題として取り上げることが必要だろうと思う。

最近は去年よりもだいぶ元気で頭も少し働くようになったが、まだ神経の調子が思わしくないなか、頭を悩ませることが多い。変えなければいけないことが多い。飛躍することになるが、生きにくい世界であると感じているのであれば、自分を変えればいいという人もいるが、それには反対で、世界を変えればいい。1人1人がそうしていくことにより、1人1人全員が生きやすい環境と秩序が出来上がっていくだろうと思われる。

ニーチェのペルソナと殉教

ニーチェはまさに「高貴」という形容に相応しい人格者であり、実際的にニーチェに接したことのある人の色々な文献から、ニーチェの気高くて誠実で礼儀をわきまえた優しい人柄が伺える。ところが文書の上ではニーチェは人の暗面や毒を辛辣に、胸を抉るほど克明に描き、とくに復讐心などをその血さえ半透明になるほど鮮烈に表現している。

このギャップは一体なんであろうか。23歳で大学教授となったエリートであるニーチェは、実のところは人格者なのではなく病んだ人間なのかと、ニーチェの書物に出会ったばかりの人は感じることもよくあろうと思われる。しかしその実態は、ニーチェが他人を、それも卑近な位置にいる人だけでなく、数百年以上離れた作家や哲学者も含めた他者を、生身を以て体験しているというところにあり、しかもその他人が体験している心理をその当事者よりも切実に認識し、それを自分の言葉で暴き出し文章として記録に残さずにはいられないという、熱烈な批評欲がニーチェにあったのだろう。

青年時代から音楽や文学や哲学に精通していたニーチェは、当然のことながら決して他の人と比べて劣るような人格を持っていたのではなく、他人の暗面を自らその得体のしれない好奇心を以て体験し、文章上で岩をも砕く閃光のように演出してみせたのだろう。そういうニーチェの文章というのは表現形式もパフォーマティヴだが、表現内容も多くがパフォーマンスで成されていて、といっても真剣な態度であるのだが、人間の闇を語るときも、ある病んだ一類型であったり人類普遍の病であったりを自ら体現して演出しているという、その深刻な、あまりに深刻な演劇の地点に、ニーチェの余裕を見ざるを得ない。

決して太宰治のように自身の実存自体が本当に苦悩の限界にあり人格が破綻して悲しみや苦しみを文章の一語一語に仮託しているわけではない。引き合いに出すとすればドストエフスキーが、生活と神経病に苦しむ道化を小説内に登場させたのと同じように、ダイヤモンドさえ傷つけることを辞さないその寸鉄の断章のなかで、疑いや毒などを対象化して扱い、いわば料理し、苦悩を演出的に描いてみせたのだろう。時には血を以て。そうやって求道の山道は高きところからの認識欲により、自ら吐き気極まる人間性の闇を己の強さで以って体験してつくしてきたこと、その病人どもに対する愛で、ニーチェの外面的人格はペルソナとして形成されている。尤も、文章上ではそのようなパフォーマンスとしてのペルソナであったが、実生活では真面目で誠実な人間として礼儀正しいペルソナを形成していたに違いない。

文章上で毒を描くニーチェはある意味では読者より一枚上手な演出者なのであるが、しかし、ニーチェの人間性に対する認識欲はとどまるところを知らなすぎたことから、発狂前のニーチェは人類の普遍的な悪や罪にまで直観や認識がとどいてしまい、そこには余裕や演出性はみられなくなる。なぜなら、集合的無意識の最深点は全人類の死であるからだ……。

『この人を見よ』は決してペルソナによる遊戯なのではなく、あのころの文章や手紙においては、前代未聞の能動性による人類諸々の心理の認識と洞察の果てに見た、普遍的な対立、「キリスト対ディオニュソス」を、自らの心臓に宿してしまった苦悩者として、文章上で吐血し、死へ向かっていること、自らの魂に殉教しようとしているのが感じられる。

東京旅行

今の私にはそこそこ仲のいい音楽の好きな知人がいるのですが、半ば私の強制といっても過言ではない程に強引に、しかし相手の方も少しは羽を伸ばして遠くへいってみたいと希求されていたので一応は合意がありで、東京へ向かいました。新大阪から新幹線に乗って色々と話しながらあっという間に乗車時間は快適に過ぎました。二人とも睡眠不足で前日あまり眠れていなかったのですが、それでも起きていたいと思う程度には色々話したと思う。そういえばアメリカ人というのは、初対面で電車で同席しただけで、違う州へいく電車内のことであれば、お互いの人生のほとんどを話してしまうそうです。初対面ではなかったし、9月中に知り合っただけですが、色々とお話ができてよかったです。
歌舞伎町のホテルへ直行。アパホテル新宿歌舞伎町タワーで宿泊。アパホテルの社長さんのサービス精神に驚愕するような宿泊料。この値段であれば何泊でも可能である。2泊を予約していたのですが、もし3日で物足りなければもっと宿泊できそうという旅行の楽しみの延長を期待し、チェックインしたような気がします。 1日目は移動の疲れを癒すためにひたすら、部屋でゆっくりと。夜の20:00~21:00頃だったかに、旅の連れを部屋にのこし、私が初めて組んだパンクバンドのベース&ボーカルの方と一緒に居酒屋へ行った。2人とも変わってしまったな。青春の夢は私の方では炸裂していたが、上手く行っているとは言い切れないほどであり、他方は社会に順応しつつ革命的といってもいい夢を失っていたかどうか。ほどほどに飲み、ほどほどに普通の話をし、そこらの時間でお開き、気前が良かったのは相手の方であった。
2日目は主に買い物をした。新宿から渋谷まで街並みの写真を撮りたかったので、徒歩でいこうかと思ったが、しばらく歩いてさすがに遠いと思い、タクシーを呼んだ。タクシーからとる写真もなかなか趣があるというか、東京と言うと趣というよりデザインと言うべきか、そういう構造物が窓から眺める私の視覚を通過していくたびに写真に撮りたい気持ちになり、何枚かはタクシー内から街並みを取った。渋谷に着いてからは適当にぶらぶらして、服やキーホルダーなどを購入。渋谷って歩き回るといつのまにかラブホテルの一角に迷い込むような街の構造で、しかも迷い込んだら細い道や坂が多くて抜け出すのが難しい……これはレディを捕まえる蜘蛛の巣を意識した国土交通省官僚の設計か……。とりあえずは、渋谷を歩くのも買い物もそこそこ楽しかった。
3日目は東京スカイツリーへ。スカイツリーでの出来事は、記事を別に一つどころか、短編小説でも書けそうな程には色々あったので、このページでは割愛します。
4日目は、旅の連れさんが東京の知人に会いに行きたいとのことで1人で東京内の遠くへ。私は心配しながらも、部屋にいるだけでは面白くないので、ゲーセンで遊び、カラオケへ行ったり、あちこちのガチャに100円玉をたくさん貢いだりしていた。貢ぐ……っておかしいようにみえて、欲しいキャラのガチャが出るまで課金し続けるので、言えてなくもないような気がするのだが、まあそれは一つの遊び心ということで。帰ってきた旅の連れは疲れていそうであったので、部屋でゆっくり過ごして色々と話をしていたような気がする。それにしてもアパホテルは快適である。とくに日用品を持って行かずとも、十分に過ごせるよう備品がそろっている。水についても不足なく、美味しい飲料水が置いているし、水道の水も綺麗にしてあって飲めるようになっている。お金があったら、この値段なら60泊してもいいかもな、と思える程の快適。やはり一流のビジネスホテルは素晴らしい。 4日目の夜、はぐれてしまった。
5日目、秋葉原。いい買い物をした。そしてどうしても帰宅しならなかったので、一人で帰った。ほとんど無理やり連れて行ったのに、無責任極まりない。元気に帰ってきてくれたらいいのだが、神経質な人はそっとしておいたほうがいいのかも、ということで新幹線内で最近の私の最も楽しい遊び、Twitterを新幹線に例えられる程度には実行したであろうか。 人を置き去りにして得た土産物は、フィギュア。あちこち行くたびにガチャがあったのは何故だろうか。東京らしい土産物はなかったが、写真や人形の内に存在するオブジェクトをたくさん持ち帰れ、脳にも焼き付けることができた。 東京へいくといつもブラックジョークのようなことがよくある。今回は今までになく楽しい東京旅行であったので、旅の連れ様にはありがとうを。帰還については祈りを。そして素晴らしい都市を設計し実際に建てた官僚に感謝を。

9月下旬から10/2までの歌舞伎町とか

























知人以上友達未満って愛人なんですか?

8月と9月

 7/31で派遣会社を通して勤務していた、不動産関係でありながら自動車関係である会社を退職した。1つ目の理由は、職場すぐ100メートル以内にある自宅マンションの家賃が高かったため予定している学業の資金を貯蓄することが困難であり、実家に帰るとその職場での勤務で得られる益が減るため。2つ目の理由は、東大文学部(文Ⅲ)に入学するための受験勉強にある程度は時間を当てないと合格できないだろうという、悲観的な予測のため。といっても、6月と7月で高校3年間の文系の教育課程の4割ほどを復習していたので、不合格の見込みは特になかったのだが、入試の成績がいいと学費免除になる可能性が高いなどのアドバンテージがたくさんあるため、高得点を狙うという意図もあった。

7月、気分は全くわるくなかったが気力が低下していたため、退職の手続きと引っ越し作業は困難であった。しかし、実家に帰ると猫と戯れることができることと、漫画やフィギュアの類がたくさんあって、楽園のようになるかもしれないという楽観的な想いで、引っ越し作業を行うことができた。

無事、引越。

※人力引越社(株式会社キョウトプラス)の引っ越し用ダンボール

8月に入ると、Twitterがやたらと面白くなってきた。ホームをみると、花火を見ているようだ。いや、戦闘機の遊泳というのかカラフルな煙を出しながらアクロバットするやつをか。それともピラニアやエンゼルフィッシュやグッピーやアロワナやメダカやタナゴの類か。とにかく、ホーム画面に出てくる言葉や画像などが面白くて仕方がない。

と、いうわけで、躁転? 軽くハイな感情の状態になり、また感情の潤いも蘇り、感覚の彩度も高校生の時のようにとはいわないまでも、年相応以上くらいには目まぐるしい光彩が絢爛するようにはなったと思う。薄めた洗剤でビー玉やおはじきの類を洗っているかのように、なんとなく楽しくなった。

それからというもの、1ヵ月で再就職してその1ヵ月の間は真面目に勉強して次席合格あたりを狙おうと企図していたものの、猶予期間が2倍、9/30日までになりそうなくらい、Twitterにハマってしまった。

ツイ魔

しかもあまりにもわくわくしすぎて、魔が差して悪心を発し、(もちろん私の興味の分野がネット上では)女性(比率が高いためでしかないが)アカウントと思しきに、挑発を試みてしまった。災いだ。以下略。

災いは災いでしかないものではあるが、しかしなかなか興味深い交流をできていたのではないかと思われる。

一応プライバシーに配慮して幅をもたせておくが、Twitterを通して知り合った方1~5名とお会いすることができ、以前は交友していたが疎遠になっていた1~5名とお会いしたり通話をしたりすることができたので、有意義ではあったと思う。しかしまあ「七夕ごっこ」と称した1ヵ月ほど遅れた1~5行の半分以上は宛名なしの飛ばし合いはやはり、災いを呼ぶ。星が日本に落下しなくてよかったというところであったが、私の実家近くの上空に何度も雷が轟いた訳は一体全体、コロナ下での花火大会より危険であったかなかったか。

リプライや空リプがやたらカラフルであっただけでなく、Twitterで知り合った方や縁を戻した方と、ファミレスに行ったり、セッションしたり、通話を長時間したり、カラオケへ行ったり、本などを郵送しあったりと、楽しいことがいくつかあった。

それにしても、戯けすぎである。仕事はほぼ決まったが、遊び過ぎたツケは大きい。明日から東京へ旅行に行くつもりではあるが、あんまりはしゃがないでおこうと思う。元バンドメンバーやその周辺の知己に再開することができたらいいなと思うのもあり、また昨日4年振りに人とアンサンブルを行ったので楽器練習に本気で昨日目覚めてしまったこともあって、音楽や読書をがんばろう。仕事はじまるまでは芸術の秋と読書の秋を極めてみたいものだ。

クアラルンプールでの出来事

  業務初日、朝、予めスマホに挿入していたマレーシア用SIMの通信が障害を起こし、所属企業があるビルにて、研修室まで案内してくれる予定の研修担当の方と連絡が取れず、いったんホテルの部屋に帰る。Wi-Fiを繋いで連絡し、事情を説明。その後、待ち合わせ場所を決めてもらって再度出社。 ...