Tunes composed by 早
入院中の日記 1月 1/2
あけましておめでとうございます。 酷い躁状態になってしまったので精神病院に入院しています。 また私は非同意の人体実験のモニターになっていて、主に神経活動を操作されているのですが、その実験の中でブレインジャックをされていました。 そういうこともあり、狂った書き込みや過激な投稿、大変失礼いたしました。 入院は3カ月の予定で、3月末に退院すると思います。 新年のあいさつが精神病院からで恐縮ですが、今年もよろしくお願いします。
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メール等で謝罪したい方が何人かいるのですが2段階認証設定のため病院からメールが送れず、こちらで謝罪します。
頭おかしいこと言ったりメッセージ等で送ったり書き込んだりしてごめんなさい。 ぼろかす言ってごめんなさい。 苦しめていたらごめんなさい。 怒ってばかりでごめんなさい。
ずっと躁でした。 病院で隔離されているうちに気違いは治りました。 躁でないときは正常なので、これからも友達でいてくださるとうれしいです。 去年は俺がおかしい状態多かったのに、ありがとう。今年もよろしくお願いします。
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攻撃性
なぜ私が女性に対して攻撃的なのか?
集団ストーカーの被害の中で、ものすごい数の女性に嫌がらせ等をされた。 たとえば、 電車で下ネタをこっちみてにこにこしながらささやかれる、乳を当てられる、股間を触られる、女子高生まで下着をスカートの上から引っ張って性的アピールしてくる、脚を広げてきて下着を見せてくる、電車以外でも、写真を笑いながら撮ってくる、知ってる女性の名前を言ってくる、はみパンを見せてくる、セクシーポーズをとってくる。職場で集団ストーカーがあったときは、同僚や上司の女性に主に下ネタでよく嫌がらせをされた。男性からはそんなに嫌がらせをされたことはない。女性からは10年間の集団ストーカー被害の中で、毎日数十回から数百回も被害を受けたため、おそらく10万回から100万回ほどはセクハラの被害を受けていることになる。
おそらくそのせいで、女性に対して攻撃的になってしまうことが多い精神構造となってしまった。躁状態のときキレまくるし、そのときひどいことを言ってしまうことがよくある。すいません。なんとかなおします。PTSDにはならない気質なのですが、さすがに100万回もセクハラされて生きてきたとなると、どこかで蓄積した怒りや攻撃心があるみたいです。まず躁状態にならないように気を付けます。
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狂気のワケは?
躁状態ではあったが、ありえないような気の狂い方をした。
今いろいろと思い返してみても、なぜそのときそのように思ったのか、とくになぜそうしようと思ったのか動機の部分について自分でも不明の事が多すぎる。
完全に動機が狂いまくって行動が支離滅裂になってしまったような狂気ではなく、一定のおかしな思想に基づいて気を狂わせていたようだが、その一過性の変化した思想というのが全く自分のものとは思えない。全般的に気の狂い方がおかしいだけでなく、前述のとおりひとつひとつの言動の動機が自分でも全くわからないようなことをたくさんしている。
とにかく普通に考えても、記憶をたくさん回想して精神分析的に考察してみても、今回の躁状態での狂気や奇行というのが私の所産から導かれるものではないという結論に達した。
一言でいえば、ブレインジャックされていて気が狂っていたということだ。この脳活動の遠隔操作技術というのは一般に認知されていないが、報告があるだけで日本で数千人のその技術の悪用の被害者が確認されている。私もその一人であり、非同意の人体実験被験者として様々な神経遠隔操作、ひどいときはブレインジャックを行われている。
ひとの意志を司る脳の神経細胞群の動きまでも遠隔的に制御して、人をおもいのままに操作する技術がブレインジャックであるが、これをやられているときというのは、主に2種類ある。視聴覚はあるが意志で体を全く動かせず、なすすべなくうごかされるままになるのと、もう一つは自分の意志で意識や体を動かしているつもりで実は遠隔操作により意志ごと動かされているものである。
後者のブレインジャックは、本人さえ実験オペレータの意志なのか自分の意志なのかわからず、実験に慣れていない限りは実験オペレータに意志を動かされているにもかかわらず自分の意志であったと誤認する場合が多い。私はこのタイプのブレインジャックをyよくされている。
たとえば、iPad Pro の約11万円の機種を購入したのだが、購入直後になぜかベルトで枕を叩きたい衝動に駆られて、枕を叩いていると、近くにあったiPadに直撃して、画面が大きく破損してしまった。これはあとあと思い返すと、なぜベルトを振り回したくなって枕を叩きたくなったのか不明で、ブレインジャックによるものとしか考えられない。
おそらく躁状態も脳の遠隔的な制御によって起こされたものとみられるし、躁状態で行った色々な奇行もブレインジャックによるもので起こされた可能性が極めて高い。加害者が喉の遠隔操作をして私にメッセージを言ってくることがあるのだが、加害者によるとやはりブレインジャックをしておかしい狂った躁状態にしていたとのことだ。明言はしてこないが、行動の一つ一つの動機や過程の微細に至るまで操作されていた可能性が高く、もはや私はこんなことされたら次またいつどんな狂気に陥るのか不明であるから、非常にお先真っ暗である。
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入院生活
すごい退屈です。ほとんど何もなく、ただ病室で本を読んでいるだけのことが多い。
病院によるけれど、今入院中のところは携帯禁止、携帯ゲーム等禁止で、自由に持ち込んでいい娯楽品は本と漫画くらいです。なので小説を主に読んでいますが、来年か再来年に東大受験を考えているため、教材をもってきてもらい、英語や世界史などを勉強しています。
病院の設備でできることといえば、たとえば今日はカラオケがありました。病棟のホールにカラオケの機材をもってきてくれ、交代で歌いました。自分は音楽をやっているので他の人と比べたら歌唱力が圧倒的すぎて、場違いな感じがしました。女子たちにキャーキャー言われました。やったー。
あとは平日は2時間ほど、パソコンをさわることができて今やっているようにインターネットが制限付きですができます。今まで同じ病院に何度か入院しましたが、決まって大麻中毒者がいて仲良くなったものですが、今回はジャンキーは一人もいなくて、みんな真面目な感じの人です。
男子数人と女子一人と仲良くなりました。一昨日あたりからその女子に漫画を借りました。『機動戦士Ζガンダム』面白くて熱中しています。男子の中の一人とはアドレス交換して退院後も友人であり続けそうな感じです。20代前半の時は今よりコミュ力があったためか、メンヘラ女子かたっぱしから喋り相手にして病院内ハーレムをしてたような気がしますが、最近はそんな芸当はできなくなっております。もっと話しかけようか女子にも。男子とだらだらしゃべってるばっかだと飽きてくるし、ときめきがないからだれか女性の話し相手捕まえよっかな。
とかいう衝動が起こるほど、暇である。おとなしく本をたくさん読むことにでもしようかなと思っています。でも本を読んでもやはり時間を捨ててる感は否めない。
働きたいし、趣味とかやりたいので、この入院中の時間があまりにも無駄に感じられ、とにかく早く退院したいです。
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狭い世界 偶然
病院内のカラオケであんまり気が進まなかったけれど歌ってたら、コールセンターですかと言われた。歌声がコールセンター業務で作られていく声ぽかったと言われた。
自分の歌声はコールセンターで働き始めるずっと以前から、純粋に音楽的に作っていって音色付けていった声だったけれど、ただたしかに普段しゃべる声を大きくしたときにはコールセンターの電話対応の声っぽくなることがあるので、歌声にも影響があったかもしれない。
とにかく歌ってたら職業を言い当てられたわけではあるが、その女子も長年コールセンターで働いている人だった。それでずっと仕事とか職場とか会社とかの話をしていたら、K社がよかったという話で意気投合した。
そしてK社の仕事のことを話していると、偶然にも全く同じ時期に同じ部署で働いていたことが判明した。思い出してみると、たしかに職場でとなりに座ったことある人だった。相手方は忘れているようであったが。上司の誰々トークで盛り上がったりしたが、それにしても病院で入院で病棟同じになった人が元職場の同僚って偶然もすごいことがあるものだと思った。
カバー・コピーしたい曲 最近のギター
Where is Memory?
24歳のときに書いた英作文であるため、考え方や文法に間違いが存在する可能性が高いです。
(The following is not based on firm evidences but a result of my intuition.)
(And I'm sorry my English is sometimes wrong or too poor to describe abstract affairs such as the following.)(Here I mean by the word Memory not memorizing but memorized contents.)
Generally, scientists and modern people under their theories think of Memories as being stored in a Brain, but I don't think that. I think, though a brain have the function of taking in the images of things which the nervous system perceived and the function of recalling these images, it don't have the function of a storehouse. Likening memories into water, a brain have roles of watercourses and valves but don't have the function of a water tank.
Fundamentally speaking, regarding three-dimensional space, it have not been varified perfectly as actual existence, or some people say that it is no more than a tool or a concept through which we human beings feel the outer world. Adopting this theory here, three-dimensional space is the concept which spirit invented for life to live in this world conveniently. By the way, Memory is a such thing that is more fundamental and essential than a tool to live, I think. That is to say, memory is not a thing that spirit have invented but the tracks of spirit itself, process of life. Then returning to the earlier problem, applying perfectly the concept, that is no more than a tool to grasp, to memory, that is essential movement and tracks of spirit itself, is obviously false if we think that way. To say, memories don't exist in a brain that is physical and three-dimensional space. Spatial places don't correspond to memory, but memory exist at a Place which we are hard to call as Place. Boldly speaking, even if a brain vanish, it can be possible for memories to exist Somewhere. Merely, it is difficult to indicate the Somewhere by a clear concept of Place, which is often haunted by three-dimensional space. Anyway, if only we separate memory from the physical concept, three-dimensional space, it is obvious to us that memory exist somewhere but the brain.
一般的に、科学者やその理論の影響下にある現代人にとって、記憶は脳に保存されていると見なされているが、私はそうではないと思っている。思うに、脳は神経系が知覚した事象の印象を取り込む機能や、その印象を思い出す機能は持っているが、記憶の保存庫としての機能は持っていない。記憶を水に喩えるなら、脳は水路やバルブの役割を持っていても、貯水の機能は持っていない。
では記憶は何処に保存されているのか。しかしこの問いには一つのナンセンスが含まれている。すなわち、記憶に「何処」という概念をあたりまえに当てはめてしまっているということであり、実際のところは記憶には私たちが一般に思っている様な意味での場所など存在しなく、私たちが記憶に対して、場所、脳という確固たる物質的領域をあてがいたくなるのは、私たちが日常で三次元空間を体験しながら生きていることに依る無意識の間違った適用であり、精神と物質の無意識的な混同なのではないのだろうか。
もともと、三次元空間だって、それが確固たる実在として完璧には立証されていない、いわば人間が外界を感じるときのための道具や概念でしかないという説もよく見受けられる。その説を採用して、三次元空間も生命が世界を便利に生きるために精神が開発したものでしかないとしよう。ところで、記憶というのは、生存のための道具というよりも、もっと根源的で本質的なものではないだろうか、すなわち精神が開発したものではなく、精神の軌跡そのものなの、生命の過程そのものなのだ。そこでさっきの問題に立ち返ってみると、精神の本質的運動そのものとその過程である記憶に、精神が生み出した単に生存のための一種の捉え方でしかない三次元空間という概念を、ぴったり当てはめることは、こう考えてみると明らかな誤謬になる。すなわち記憶は脳という物的三次元空間には存在しない。空間的な場所が対応しているのではなく、場所とは呼びにくい場所に存在している。大胆に言ってしまえば、脳が消滅したとしても、記憶は何処かにある可能性がある。ただ、その何処かというのが、はっきりとした場所という概念で示しにくい。場所という概念には三次元空間という概念が普通はよくつきまとっているから。とにかく、記憶を三次元空間という物的概念から引き離せば、その場所は脳ではない何処かだということは明らかだろう。
近況と雑感
ニーチェのペルソナと殉教
このギャップは一体なんであろうか。23歳で大学教授となったエリートであるニーチェは、実のところは人格者なのではなく病んだ人間なのかと、ニーチェの書物に出会ったばかりの人は感じることもよくあろうと思われる。しかしその実態は、ニーチェが他人を、それも卑近な位置にいる人だけでなく、数百年以上離れた作家や哲学者も含めた他者を、生身を以て体験しているというところにあり、しかもその他人が体験している心理をその当事者よりも切実に認識し、それを自分の言葉で暴き出し文章として記録に残さずにはいられないという、熱烈な批評欲がニーチェにあったのだろう。
青年時代から音楽や文学や哲学に精通していたニーチェは、当然のことながら決して他の人と比べて劣るような人格を持っていたのではなく、他人の暗面を自らその得体のしれない好奇心を以て体験し、文章上で岩をも砕く閃光のように演出してみせたのだろう。そういうニーチェの文章というのは表現形式もパフォーマティヴだが、表現内容も多くがパフォーマンスで成されていて、といっても真剣な態度であるのだが、人間の闇を語るときも、ある病んだ一類型であったり人類普遍の病であったりを自ら体現して演出しているという、その深刻な、あまりに深刻な演劇の地点に、ニーチェの余裕を見ざるを得ない。
決して太宰治のように自身の実存自体が本当に苦悩の限界にあり人格が破綻して悲しみや苦しみを文章の一語一語に仮託しているわけではない。引き合いに出すとすればドストエフスキーが、生活と神経病に苦しむ道化を小説内に登場させたのと同じように、ダイヤモンドさえ傷つけることを辞さないその寸鉄の断章のなかで、疑いや毒などを対象化して扱い、いわば料理し、苦悩を演出的に描いてみせたのだろう。時には血を以て。そうやって求道の山道は高きところからの認識欲により、自ら吐き気極まる人間性の闇を己の強さで以って体験してつくしてきたこと、その病人どもに対する愛で、ニーチェの外面的人格はペルソナとして形成されている。尤も、文章上ではそのようなパフォーマンスとしてのペルソナであったが、実生活では真面目で誠実な人間として礼儀正しいペルソナを形成していたに違いない。
文章上で毒を描くニーチェはある意味では読者より一枚上手な演出者なのであるが、しかし、ニーチェの人間性に対する認識欲はとどまるところを知らなすぎたことから、発狂前のニーチェは人類の普遍的な悪や罪にまで直観や認識がとどいてしまい、そこには余裕や演出性はみられなくなる。なぜなら、集合的無意識の最深点は全人類の死であるからだ……。
『この人を見よ』は決してペルソナによる遊戯なのではなく、あのころの文章や手紙においては、前代未聞の能動性による人類諸々の心理の認識と洞察の果てに見た、普遍的な対立、「キリスト対ディオニュソス」を、自らの心臓に宿してしまった苦悩者として、文章上で吐血し、死へ向かっていること、自らの魂に殉教しようとしているのが感じられる。
東京旅行
8月と9月
7/31で派遣会社を通して勤務していた、不動産関係でありながら自動車関係である会社を退職した。1つ目の理由は、職場すぐ100メートル以内にある自宅マンションの家賃が高かったため予定している学業の資金を貯蓄することが困難であり、実家に帰るとその職場での勤務で得られる益が減るため。2つ目の理由は、東大文学部(文Ⅲ)に入学するための受験勉強にある程度は時間を当てないと合格できないだろうという、悲観的な予測のため。といっても、6月と7月で高校3年間の文系の教育課程の4割ほどを復習していたので、不合格の見込みは特になかったのだが、入試の成績がいいと学費免除になる可能性が高いなどのアドバンテージがたくさんあるため、高得点を狙うという意図もあった。
7月、気分は全くわるくなかったが気力が低下していたため、退職の手続きと引っ越し作業は困難であった。しかし、実家に帰ると猫と戯れることができることと、漫画やフィギュアの類がたくさんあって、楽園のようになるかもしれないという楽観的な想いで、引っ越し作業を行うことができた。
無事、引越。
※人力引越社(株式会社キョウトプラス)の引っ越し用ダンボール
8月に入ると、Twitterがやたらと面白くなってきた。ホームをみると、花火を見ているようだ。いや、戦闘機の遊泳というのかカラフルな煙を出しながらアクロバットするやつをか。それともピラニアやエンゼルフィッシュやグッピーやアロワナやメダカやタナゴの類か。とにかく、ホーム画面に出てくる言葉や画像などが面白くて仕方がない。
と、いうわけで、躁転? 軽くハイな感情の状態になり、また感情の潤いも蘇り、感覚の彩度も高校生の時のようにとはいわないまでも、年相応以上くらいには目まぐるしい光彩が絢爛するようにはなったと思う。薄めた洗剤でビー玉やおはじきの類を洗っているかのように、なんとなく楽しくなった。
それからというもの、1ヵ月で再就職してその1ヵ月の間は真面目に勉強して次席合格あたりを狙おうと企図していたものの、猶予期間が2倍、9/30日までになりそうなくらい、Twitterにハマってしまった。
しかもあまりにもわくわくしすぎて、魔が差して悪心を発し、(もちろん私の興味の分野がネット上では)女性(比率が高いためでしかないが)アカウントと思しきに、挑発を試みてしまった。災いだ。以下略。
災いは災いでしかないものではあるが、しかしなかなか興味深い交流をできていたのではないかと思われる。
一応プライバシーに配慮して幅をもたせておくが、Twitterを通して知り合った方1~5名とお会いすることができ、以前は交友していたが疎遠になっていた1~5名とお会いしたり通話をしたりすることができたので、有意義ではあったと思う。しかしまあ「七夕ごっこ」と称した1ヵ月ほど遅れた1~5行の半分以上は宛名なしの飛ばし合いはやはり、災いを呼ぶ。星が日本に落下しなくてよかったというところであったが、私の実家近くの上空に何度も雷が轟いた訳は一体全体、コロナ下での花火大会より危険であったかなかったか。
リプライや空リプがやたらカラフルであっただけでなく、Twitterで知り合った方や縁を戻した方と、ファミレスに行ったり、セッションしたり、通話を長時間したり、カラオケへ行ったり、本などを郵送しあったりと、楽しいことがいくつかあった。
それにしても、戯けすぎである。仕事はほぼ決まったが、遊び過ぎたツケは大きい。明日から東京へ旅行に行くつもりではあるが、あんまりはしゃがないでおこうと思う。元バンドメンバーやその周辺の知己に再開することができたらいいなと思うのもあり、また昨日4年振りに人とアンサンブルを行ったので楽器練習に本気で昨日目覚めてしまったこともあって、音楽や読書をがんばろう。仕事はじまるまでは芸術の秋と読書の秋を極めてみたいものだ。
非常に興味深いカラオケの思い出
クアラルンプールでの出来事
業務初日、朝、予めスマホに挿入していたマレーシア用SIMの通信が障害を起こし、所属企業があるビルにて、研修室まで案内してくれる予定の研修担当の方と連絡が取れず、いったんホテルの部屋に帰る。Wi-Fiを繋いで連絡し、事情を説明。その後、待ち合わせ場所を決めてもらって再度出社。 ...

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[画像は入院していた精神科閉鎖病棟から(脱走後)送ってもらった私物 ] 5月~8月、ベトナムを無一文でさまよいました。飢餓で30キロ痩せました。財布、スマホ、パスポートの入ったバッグをベンチで仮眠してるときに盗難されてカードは不正利用され、着衣以外まったく何もなく、ホーチミンから...
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入院していた閉鎖病棟から病院に預かってもらっていた私物が届いた。昨日12/29に宅配員から受け取り、大きい段ボールにつまった大量の物品を開封した。ベトナムから帰国したのは8月末だったが、そのあと色々あって自宅にほとんど入ることができず、貴重品だけでなく役に立つものやゲーム機や書類...
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私の人生というものは、高校3年生のときに宝くじの逆が当たったかのような珍しくて巨大な不運が降りかかってきて、それ以来、その災難に関する厄介事がずっと継続し、半ば壊れてしまっている。 困難を抱え、それでもなんとか生き抜いてきて、得たものも多いが、失ったもののほうが、そして平和でそれ...
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12/20~12/31 の11日間、インドを1人で旅行してきました。 現地時間21時にニューデリー駅にたどり着き、そこから三輪タクシーに乗ってホテルに行こうと思い、タクシーの客引きに声をかけられるままについて行って、三輪タクシーに乗車。運転手は現地インド人。 すると……、目的地と...