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Where is Memory?
24歳のときに書いた英作文であるため、考え方や文法に間違いが存在する可能性が高いです。
(The following is not based on firm evidences but a result of my intuition.)
(And I'm sorry my English is sometimes wrong or too poor to describe abstract affairs such as the following.)(Here I mean by the word Memory not memorizing but memorized contents.)
Generally, scientists and modern people under their theories think of Memories as being stored in a Brain, but I don't think that. I think, though a brain have the function of taking in the images of things which the nervous system perceived and the function of recalling these images, it don't have the function of a storehouse. Likening memories into water, a brain have roles of watercourses and valves but don't have the function of a water tank.
Fundamentally speaking, regarding three-dimensional space, it have not been varified perfectly as actual existence, or some people say that it is no more than a tool or a concept through which we human beings feel the outer world. Adopting this theory here, three-dimensional space is the concept which spirit invented for life to live in this world conveniently. By the way, Memory is a such thing that is more fundamental and essential than a tool to live, I think. That is to say, memory is not a thing that spirit have invented but the tracks of spirit itself, process of life. Then returning to the earlier problem, applying perfectly the concept, that is no more than a tool to grasp, to memory, that is essential movement and tracks of spirit itself, is obviously false if we think that way. To say, memories don't exist in a brain that is physical and three-dimensional space. Spatial places don't correspond to memory, but memory exist at a Place which we are hard to call as Place. Boldly speaking, even if a brain vanish, it can be possible for memories to exist Somewhere. Merely, it is difficult to indicate the Somewhere by a clear concept of Place, which is often haunted by three-dimensional space. Anyway, if only we separate memory from the physical concept, three-dimensional space, it is obvious to us that memory exist somewhere but the brain.
一般的に、科学者やその理論の影響下にある現代人にとって、記憶は脳に保存されていると見なされているが、私はそうではないと思っている。思うに、脳は神経系が知覚した事象の印象を取り込む機能や、その印象を思い出す機能は持っているが、記憶の保存庫としての機能は持っていない。記憶を水に喩えるなら、脳は水路やバルブの役割を持っていても、貯水の機能は持っていない。
では記憶は何処に保存されているのか。しかしこの問いには一つのナンセンスが含まれている。すなわち、記憶に「何処」という概念をあたりまえに当てはめてしまっているということであり、実際のところは記憶には私たちが一般に思っている様な意味での場所など存在しなく、私たちが記憶に対して、場所、脳という確固たる物質的領域をあてがいたくなるのは、私たちが日常で三次元空間を体験しながら生きていることに依る無意識の間違った適用であり、精神と物質の無意識的な混同なのではないのだろうか。
もともと、三次元空間だって、それが確固たる実在として完璧には立証されていない、いわば人間が外界を感じるときのための道具や概念でしかないという説もよく見受けられる。その説を採用して、三次元空間も生命が世界を便利に生きるために精神が開発したものでしかないとしよう。ところで、記憶というのは、生存のための道具というよりも、もっと根源的で本質的なものではないだろうか、すなわち精神が開発したものではなく、精神の軌跡そのものなの、生命の過程そのものなのだ。そこでさっきの問題に立ち返ってみると、精神の本質的運動そのものとその過程である記憶に、精神が生み出した単に生存のための一種の捉え方でしかない三次元空間という概念を、ぴったり当てはめることは、こう考えてみると明らかな誤謬になる。すなわち記憶は脳という物的三次元空間には存在しない。空間的な場所が対応しているのではなく、場所とは呼びにくい場所に存在している。大胆に言ってしまえば、脳が消滅したとしても、記憶は何処かにある可能性がある。ただ、その何処かというのが、はっきりとした場所という概念で示しにくい。場所という概念には三次元空間という概念が普通はよくつきまとっているから。とにかく、記憶を三次元空間という物的概念から引き離せば、その場所は脳ではない何処かだということは明らかだろう。
近況と雑感
ニーチェのペルソナと殉教
このギャップは一体なんであろうか。23歳で大学教授となったエリートであるニーチェは、実のところは人格者なのではなく病んだ人間なのかと、ニーチェの書物に出会ったばかりの人は感じることもよくあろうと思われる。しかしその実態は、ニーチェが他人を、それも卑近な位置にいる人だけでなく、数百年以上離れた作家や哲学者も含めた他者を、生身を以て体験しているというところにあり、しかもその他人が体験している心理をその当事者よりも切実に認識し、それを自分の言葉で暴き出し文章として記録に残さずにはいられないという、熱烈な批評欲がニーチェにあったのだろう。
青年時代から音楽や文学や哲学に精通していたニーチェは、当然のことながら決して他の人と比べて劣るような人格を持っていたのではなく、他人の暗面を自らその得体のしれない好奇心を以て体験し、文章上で岩をも砕く閃光のように演出してみせたのだろう。そういうニーチェの文章というのは表現形式もパフォーマティヴだが、表現内容も多くがパフォーマンスで成されていて、といっても真剣な態度であるのだが、人間の闇を語るときも、ある病んだ一類型であったり人類普遍の病であったりを自ら体現して演出しているという、その深刻な、あまりに深刻な演劇の地点に、ニーチェの余裕を見ざるを得ない。
決して太宰治のように自身の実存自体が本当に苦悩の限界にあり人格が破綻して悲しみや苦しみを文章の一語一語に仮託しているわけではない。引き合いに出すとすればドストエフスキーが、生活と神経病に苦しむ道化を小説内に登場させたのと同じように、ダイヤモンドさえ傷つけることを辞さないその寸鉄の断章のなかで、疑いや毒などを対象化して扱い、いわば料理し、苦悩を演出的に描いてみせたのだろう。時には血を以て。そうやって求道の山道は高きところからの認識欲により、自ら吐き気極まる人間性の闇を己の強さで以って体験してつくしてきたこと、その病人どもに対する愛で、ニーチェの外面的人格はペルソナとして形成されている。尤も、文章上ではそのようなパフォーマンスとしてのペルソナであったが、実生活では真面目で誠実な人間として礼儀正しいペルソナを形成していたに違いない。
文章上で毒を描くニーチェはある意味では読者より一枚上手な演出者なのであるが、しかし、ニーチェの人間性に対する認識欲はとどまるところを知らなすぎたことから、発狂前のニーチェは人類の普遍的な悪や罪にまで直観や認識がとどいてしまい、そこには余裕や演出性はみられなくなる。なぜなら、集合的無意識の最深点は全人類の死であるからだ……。
『この人を見よ』は決してペルソナによる遊戯なのではなく、あのころの文章や手紙においては、前代未聞の能動性による人類諸々の心理の認識と洞察の果てに見た、普遍的な対立、「キリスト対ディオニュソス」を、自らの心臓に宿してしまった苦悩者として、文章上で吐血し、死へ向かっていること、自らの魂に殉教しようとしているのが感じられる。
東京旅行
8月と9月
7/31で派遣会社を通して勤務していた、不動産関係でありながら自動車関係である会社を退職した。1つ目の理由は、職場すぐ100メートル以内にある自宅マンションの家賃が高かったため予定している学業の資金を貯蓄することが困難であり、実家に帰るとその職場での勤務で得られる益が減るため。2つ目の理由は、東大文学部(文Ⅲ)に入学するための受験勉強にある程度は時間を当てないと合格できないだろうという、悲観的な予測のため。といっても、6月と7月で高校3年間の文系の教育課程の4割ほどを復習していたので、不合格の見込みは特になかったのだが、入試の成績がいいと学費免除になる可能性が高いなどのアドバンテージがたくさんあるため、高得点を狙うという意図もあった。
7月、気分は全くわるくなかったが気力が低下していたため、退職の手続きと引っ越し作業は困難であった。しかし、実家に帰ると猫と戯れることができることと、漫画やフィギュアの類がたくさんあって、楽園のようになるかもしれないという楽観的な想いで、引っ越し作業を行うことができた。
無事、引越。
※人力引越社(株式会社キョウトプラス)の引っ越し用ダンボール
8月に入ると、Twitterがやたらと面白くなってきた。ホームをみると、花火を見ているようだ。いや、戦闘機の遊泳というのかカラフルな煙を出しながらアクロバットするやつをか。それともピラニアやエンゼルフィッシュやグッピーやアロワナやメダカやタナゴの類か。とにかく、ホーム画面に出てくる言葉や画像などが面白くて仕方がない。
と、いうわけで、躁転? 軽くハイな感情の状態になり、また感情の潤いも蘇り、感覚の彩度も高校生の時のようにとはいわないまでも、年相応以上くらいには目まぐるしい光彩が絢爛するようにはなったと思う。薄めた洗剤でビー玉やおはじきの類を洗っているかのように、なんとなく楽しくなった。
それからというもの、1ヵ月で再就職してその1ヵ月の間は真面目に勉強して次席合格あたりを狙おうと企図していたものの、猶予期間が2倍、9/30日までになりそうなくらい、Twitterにハマってしまった。
しかもあまりにもわくわくしすぎて、魔が差して悪心を発し、(もちろん私の興味の分野がネット上では)女性(比率が高いためでしかないが)アカウントと思しきに、挑発を試みてしまった。災いだ。以下略。
災いは災いでしかないものではあるが、しかしなかなか興味深い交流をできていたのではないかと思われる。
一応プライバシーに配慮して幅をもたせておくが、Twitterを通して知り合った方1~5名とお会いすることができ、以前は交友していたが疎遠になっていた1~5名とお会いしたり通話をしたりすることができたので、有意義ではあったと思う。しかしまあ「七夕ごっこ」と称した1ヵ月ほど遅れた1~5行の半分以上は宛名なしの飛ばし合いはやはり、災いを呼ぶ。星が日本に落下しなくてよかったというところであったが、私の実家近くの上空に何度も雷が轟いた訳は一体全体、コロナ下での花火大会より危険であったかなかったか。
リプライや空リプがやたらカラフルであっただけでなく、Twitterで知り合った方や縁を戻した方と、ファミレスに行ったり、セッションしたり、通話を長時間したり、カラオケへ行ったり、本などを郵送しあったりと、楽しいことがいくつかあった。
それにしても、戯けすぎである。仕事はほぼ決まったが、遊び過ぎたツケは大きい。明日から東京へ旅行に行くつもりではあるが、あんまりはしゃがないでおこうと思う。元バンドメンバーやその周辺の知己に再開することができたらいいなと思うのもあり、また昨日4年振りに人とアンサンブルを行ったので楽器練習に本気で昨日目覚めてしまったこともあって、音楽や読書をがんばろう。仕事はじまるまでは芸術の秋と読書の秋を極めてみたいものだ。
非常に興味深いカラオケの思い出
時計の話
(9/21のこと)
腕時計、無くしたり飽きたりして、安物だけど、今までにいくつ買ったことだろうか。その中で、たぶん5年くらい前に買って、そのうちの2年くらいは常用していた時計を、部屋が散らかっていた故に失くしていた。久しぶりに姿を現したと思っていたら、汚損していたので、新しい時計を買おうと天王寺か難波・心斎橋に良いデザインの時計を買いに行こうと企図した。
お金が手元にはいっぱいあったけれど、色々な事情でそんなに使えないだろうと思い、また心斎橋に買い物に出かけるとついでに衝動買いしてしまい、ミナミで飲んで帰る、というのが常態となっていた時期があったことから、天王寺に腕時計を買いに行こうと思った。しかしまあ、電車乗ってみて別の方向の駅になんとなく辿り着いていたとしたら、難波で降りてもいいやと思うことが可能なほどには、目的地を定めず。
たくさん飲んでいた。買い物までに、1~2日前から、飲酒はもうアル中の領域といってもよいほどだった。アルコール中毒といえば医学的に大量飲酒による人体機能の失調であるが、アル中というと、とりあえず阿保ほど飲んでその期間の毎日が乱れてきっている、というようなニュアンスだろうか。後者のアル中と、また寝る時間がもったいない(どうせ碌な夢はみない)という理由でそれまで1週間の平均睡眠時間が2時間前後であったことから、もうフラフラであった。
天王寺へ行く途中の電車で、眠りこけててしまい、気づいたら柏原市の駅にいた。なるようになれという気持ちで難波駅にたどり着いていいと思っていたことは事実であるが、柏原市であれば天王寺駅のほうが近い。まどろむ瞼、傾く頭、どんな指つきかもわからない手で、私は天王寺駅をめざそうと、電車待ち。しかし、反対方向へ行く電車を待つかっこうで、間違ったホームにつったっていた。それに気づき、反対方向へ向かうホームへ一度エスカレーターを登って降りて到着。
正しい電車にのり、つったったまま、うたたねしそうになりながらもなんとなく天王寺でしっかりした意識を取り戻すだろうという予感。無事、天王寺で下車。
mioで買い物。時計目的であったが、意識があんまり保てていなかったので、どの階かわからず、たどり着いた階には、天然石のアクセサリーが売っている店があった。フラっと入って、ブレスレットを数個購入。その後は通路ではなく店を通過しながら、どんなものが売っているだろうかと店の迷惑にならないよう左右をささっと確認し、通過。そんな感じで階を移動しながら、やっと時計が売っている店へ到着。
時計板の大きな黒い時計。ひとめぼれと言うほどではないが、5つの候補の内を2分ほど眺めまわして選択し、店員に制服がないアパレル的なショップだったのでだれが店員だろうかと血迷いながら、やっとのことでレジで購入。
そのあとは化粧品コーナーと薬品コーナーが併設されている1階の店で、必要そうなものを購入し、なんとなくLINEがしたくなって恐らく友人ではあろうかという方にLINEして、mioが入っている天王寺駅から出て、コンビニへ。コンビニで衝動買い……なんて馬鹿みたいだけど、コンビニで売っているものはその名の通りで利便性が高いので損はないのであろうか?
次は天王寺動物辺周辺を何となく歩き回りたくなった。歩いた。そして歩いて歩いて、ネットカフェ。ネットカフェには大量の漫画がおいてあった。人の世にはこれだけの漫画があるのか……感心した。
そのあともあれこれとあったが、家に帰ると、今度は布施で時計を買おっかなと。それほど時計は自分から居なくなるし、また欲しくなるということを繰り返しているのだ。
クアラルンプールでの出来事
業務初日、朝、予めスマホに挿入していたマレーシア用SIMの通信が障害を起こし、所属企業があるビルにて、研修室まで案内してくれる予定の研修担当の方と連絡が取れず、いったんホテルの部屋に帰る。Wi-Fiを繋いで連絡し、事情を説明。その後、待ち合わせ場所を決めてもらって再度出社。 ...

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[画像は入院していた精神科閉鎖病棟から(脱走後)送ってもらった私物 ] 5月~8月、ベトナムを無一文でさまよいました。飢餓で30キロ痩せました。財布、スマホ、パスポートの入ったバッグをベンチで仮眠してるときに盗難されてカードは不正利用され、着衣以外まったく何もなく、ホーチミンから...
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入院していた閉鎖病棟から病院に預かってもらっていた私物が届いた。昨日12/29に宅配員から受け取り、大きい段ボールにつまった大量の物品を開封した。ベトナムから帰国したのは8月末だったが、そのあと色々あって自宅にほとんど入ることができず、貴重品だけでなく役に立つものやゲーム機や書類...
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今の私にはそこそこ仲のいい音楽の好きな知人がいるのですが、半ば私の強制といっても過言ではない程に強引に、しかし相手の方も少しは羽を伸ばして遠くへいってみたいと希求されていたので一応は合意がありで、東京へ向かいました。新大阪から新幹線に乗って色々と話しながらあっという間に乗車時間は...
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私の人生というものは、高校3年生のときに宝くじの逆が当たったかのような珍しくて巨大な不運が降りかかってきて、それ以来、その災難に関する厄介事がずっと継続し、半ば壊れてしまっている。 困難を抱え、それでもなんとか生き抜いてきて、得たものも多いが、失ったもののほうが、そして平和でそれ...