IQの高い人について

IQが高い人の特徴というのは何か?
・頭が良い
・数学が得意
・閃きがある
・知的好奇心が強い
・孤独
・普通の人と会話がかみ合わない
など色々なイメージがあると思う。IQ社会であるアメリカでは、収入とIQの高さが相関関係にあると言われている。一方で、社会や文化・芸術にとって創造的であることと、IQの高さがそれほど相関にないという報告もある。




(初めて受けた有料の具体的な数値が出るテストの結果: 146)

まず、IQが高いとはどういうことか。多くのIQテストで測られる能力というのは、図形や数列の法則性や規則性を見つけ出してそこから1個~数個ある空欄を類推して求めるというものであるが、その結果が知能を純粋に評価する数値として規定されていいものであるかどうかというのは、昔から議論の対象になっている。知性全般でいうと身に付けた知識であったり知的な特訓によって獲得した能力であったりも含まれるが、IQというと、(必ずしも定義としてあるいは臨床的事実としてそうであるわけではないが)イメージとしては先天的な(もしくは発達段階で形成された)大人になってからは恒常的な知能の指数、という意味合いがあるものである。IQテストに多いのが、図形がいくつか並んでいる問題であり、数列より比較的用いられることが多い理由は、数列のほうは数学を学習することによって経験的に獲得できる能力に依拠する度合が、図形と比べて大きくなってしまうからだろう。IQテストの図形の問題は、幾何学的知識にもその正答率がほとんど依存しない(幾何学的訓練がある程度はその正答率に影響するかもしれないが)、前提的な知識を度外視できる純粋な問題になっていて、未知の事象の配列から法則を見出す能力、及びその法則を分析して次に来るものや欠けているものを類推する能力などを、それなりに判定できるものであろうとは思う。

一般的なIQテストで測ることができる機能というのが、並んだ図形などから法則を見つけ出す能力であることから、平均的な知能の人にとってはとくに意味のない事象の配列であったりランダムに見える物事の配置であったりに対し、IQの高い人は法則や規則を見出し、それらの関係性や意味をつかむことができ、従って分析や思考の対象にすることが可能となる。要するにIQの高い人にとっては、諸々の物事がより強く多く関連しているように見え、従って意味をもっていたりする度合も大きい。IQが高ければ、事象の分類の方法が多様であるため、下位のカテゴリーの事象を上位のカテゴリーの事象関連の中に置き並べたりでき、より上位の概念で事象を括ったり、上位概念から個々の事象に降下したりすることが、易しく行える。このことによって、物事を様々なレベルで考えたり、一見遠そうなカテゴリーに見えるものに結び付けて考えたり、人より多くの関係性を物事の群に見つけ出したり、その関係性や意味を様々な平面で多角的に分析したりすることができる。

もちろん、これらの能力は学業の出来にプラスの相関をもっているだろうが、それだけではないだろう。IQテストではどんな前提にも依拠しない純粋な図形の羅列などかから法則性発見の能力や類推する能力が測られるため、五教科や読み書きなどに限らず、人と人の関わりの間でおこる諸々の事柄に対してであったり、人の心理に対してであったり、社会でおこる様々な事柄群に対してであったりも、上記の能力が適用されるため、日常生活や社会生活においても、様々な物事が色々な方法で関連していて多角的な思考の対象になっているということが考えられる。

なので、適切にIQの高いことからくる能力を社会上の事柄に向けることができたら、その人はより充実した少なくとも思考の体系を事実関連に役に立つ形でもつことができる。頭が良い人の言うことが魅力的に感じるのはこのためだろうと思う。しかし頭が良いことは、物事を深く考えすぎることに繋がるし、また知能が高いということは神経の敏感さにもある程度は相関があるだろうし、さらに知能が高ければ他の人が気づかないことに当たりまえに気づき誰も認識していないことを当たり前に認識していたり、多くの人の関心のないことに関心を強くもったりと、孤独に陥る危険に繋がる要素も孕んでいるだろう。

人間の諸々の能力の中でもちろんIQというのは一部の指標ではないが、人間社会上の事象というのは人間の総体が今までに形成してきた関係性や意味などで繋がりが成り立っているため、多角的にそれらを見出していける能力というのは、孤独を免れて適切に人間社会に適用させることができれば、大きな力になる。もちろん社会上の事柄だけでなく、学問においては顕著にその力が現れるだろうと思われる。しかし問題は、社会の総体といのは、全ての個人がそれに属しているという性質上、平均的な人向けにできている、ということである。IQが高いことによって、たとえば小学校や中学校の学業が退屈すぎて教育に意味を感じなくなってしまったりすることもあるし、社会生活でも頭が良ければすぐ分かりすぐに通過できる事を面倒な手続きや説明を経てやっと通過しなければならなかったりと、IQの高い人への弊害も多く、その能力を存分に発揮できていない高IQの人というのはけっこう多いのではないだろうか。


(JAPAN MENSA はそこそこ会員数が多く、交流や活動が盛んです。)

東大生の平均IQは120と言われていて、日本人の平均の105~108あたりから10以上も高い。ハーバード大学生の平均は130、メンサ会員の最低値が130、メンサ会員の理論上の中央値が135であることから、メンサ以上の人というのは、東大生と平均的な頭脳の人の差よりも大きな差を、東大生の平均に対して持っているのであり、同じ大学で同じ教育レベルである程度近い知能の群の中で人と関わるということのできる東大生よりも、孤独に繋がりやすいと推定できる。だからこそ、メンサをはじめとした高知能団体が出来、だいたい同等の知能の人どうしが交流する場と言うのが設置されている。メンサに始まるハイIQソサイエティーというのはそういう意味で画期的であり、普通の人の中で突出したIQを持っているがゆえにものたりなく感じることを、補ってくれると思うし、その団体の中でスムーズに知的な交流ができるため生産的であろうと思われる。


(追記→ https://jean629980.blogspot.com/2020/04/torr.html TORRというIQ145以上の団体に入会しました。会員専用SNSがあります。メンバー一覧はこちら→です。31ページ目に私の名前があります。https://torr.org/members/)

しかし、IQだけが全てなはずはないし、人間にはさまざまな要素があるのだからそれらの色々に魅力や意義を感じるべきであるし、IQが20離れると話が通じないということはない。話が通じるかどうかという問題については、もちろん高度な思考をリアルタイムで言語化した内容というのはIQに差がある人に対して通じないことが多いが、人間が人間である以上、相手に応じて発話する内容や形式を変えていくべきであるし、本当にIQの高い人ほどそうすることができるだろう。私は精神科で受けるIQテストは受けたことがないが、メンサの入会テストは簡単に全てできたので少なくとも130以上は保証されていて、ネットのIQテストで信憑性がありそうな比較的しっかりしたものでは140台と出ることが多いが、保育園や小学校のころ仲の良かった友達は学校でテストの点が一番低い人だった。特に彼とは問題なく接することができ、IQが高いが故に可能な助言であったりを私は行っていたであろう一方、その友達は活発で人と交流するのが得意であることから私に人と人との関わりについて教えるところがあっただろうと思われる。IQが高ければ諸々の知的能力が高いことにはなるが、人間という様々な面を持っている存在を測るにあたっては、ほんの一部の指標でしかないように思える。

私はメンサ会員であり、IQが高い人同士のグループだからこそ行える交流があることを知っているが、一方で、人間というのは色々な個性があり、個性が違う人同士が集まり強調するのが人間社会の形態であるのだから、必ずしも高IQ者が閉鎖的になる必要はないように思われる。私はおそらく140台であろうIQの割には、教育の水準の低いところをずっと生きてきたが、どんな個人にもそれぞれの魅力があったように思える。ドストエフスキーの小説の登場人物には、非常に考え深い人、たくさんのことを思いめぐらせている人、イワン・カラマーゾフのように知性の優れた人も居る一方で、ろくでなし、ならずもの、アル中であったり、貧しい人や病人もたくさん登場し、それらの群像が一体となって小説の世界を形作っている。知能の違いを受け入れて、それを排他に繋がる落差だと思わずに、人や社会に組み込まれていくことが重要であると思われる。

アメリカでは比較的高いIQを持つ人が成功しやすい社会の形態になってはいる一方で、その他の国では十分にそうなってはいないのが現状であり、IQの高い人が孤独に陥ったり能力を発揮することができなかったりするが、それを阻止するには、知能の差ということでアイデンティティを標準的な世界から分離させず、上手く人や社会に組み込まれていくようにするべきだ。IQが高ければ、そういう姿勢をもちさえすれば、それを実現することは容易であるはずである。高IQ者は社会に適切に組み込まれてこそ、彼は社会にとって生産的な活動をたくさん成すことができるだろう。もちろんメンサなど一定以上の高いIQを持つ人同士で「ソサイエティ」を作り交流することも意義のあることだが、社会と有意義に関係するためには、あくまでアイデンティティを標準から切り離さず、上手くその得意な知的活動を現実に組み入れることが求められると思う。もっている可能性は大きい。高IQ者に適した社会にはなっていない現状ではあるが、頭がいいのだから謙虚さを以って自身を社会に適応させればいいのであり、その方が本人も成功しやすいのはもちろん、幸福度もあがり、他者に対しても生産的になれるだろう。



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数年前~今日、描いた落書きたち。 ※センシティヴ・グロ・性的表現あるので注意です※  耐性ある方は、  ↓Click↓